現在でも司法試験の負担はあまりに重すぎる
まだ5月だというのに汗ばむ陽気が続いている今日この頃。先週の日曜日よりもさらに暑さが増して、夏が心底嫌いな私は早くも辟易しています。
考えるだけでしんどいので、ひとまず記事の中では夏の暑さのことは触れないこととしましょう。
話がそれましたが、その先週の日曜日、日本一難易度が高くそれゆえに日本一闇も深いだろう司法試験が今年度も行われました。
池袋会場では、悲しいことに試験時間中に発狂した人が出てきてしまいましたし、昔と変わらず司法試験は極めて心身の負担の大きい試験です。
むしろ、変わらないどころか、旧司法試験から改悪されている部分も多いので、今の司法試験の方が心身の負担は大きいかもしれません。
以下に、今の新司法試験の負担が、旧司法試験並かそれ以上の酷いものであることを説明したいと思います。
1.日程がシビア
旧司法試験のころは5月2週目に短答、7月3週目に論文というスケジュールでした。
しかし、現在は5月の2週目の水曜木曜土曜日に論文試験があり、その次の日曜日に短答試験があるという日程になっています。
昔であれば、ひとまず短答試験の勉強をがっつりやって、そのあと論文の勉強をガッツリやるという対策ができましたが、現在では短答も論文も一気に詰め込んでおかないといけません。
日程が隣接していて対策が難しいにもかかわらず、短答でしか問われないような細かい知識が聞かれますし、選択肢の文言が微妙なものになっていて判例の細かい文言まで正確に把握し記憶していないと簡単に間違えてしまう問題も多くあります。短答対策をしっかりしていないと高得点を取るのは難しいですし、受験生は短答落ちの恐怖に怯えながら試験に臨むことになります。
一応、短答は6割5分ほどでも合格できるのが幸いですが、逆にいうと、「そら6割5分ぐらいにはしてくれないと受験生死ぬよ」という話です。
2日目終了後に1日休みがあるのが幸いですが、1日目は合計7時間、2日目は合計6時間も頭と腕をフル回転させながら答案を書かなければいけません。
平成26年までは短答が3科目ではなく7科目ありましたし、新司法試験黎明期は2科目併せて4時間の試験にしていたときもありました。実は、これでも楽になったほうなのです。
2.7科目が必修
世間では「法律といえば六法!」という認識でしょうが、今の司法試験は残念ながら7科目必修で1科目選択の8科目あります。6科目ではないのです…
かつては、民事訴訟法と刑事訴訟法のうち一つだけ選べばよかったという今の受験生からしてみれば「ボーナスステージかよ!訴訟法両方やらないで法曹になるとか正気かよ!」と言いたくなる時代もありました(2000年から両訴訟法必修化)。※
しかし、今では勿論、憲法、民法、商法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法が必修であり、さらにどさくさに紛れて行政法まで新司法試験では必修となってしまいました。
6科目でさえとんでもなく負担が重かったのに、今や8科目やらないと司法試験には受からないわけです。
ただでさえ法学というのはガチガチの論理の世界で、理解が難しく1科目仕上げるだけでも大変というのに、それを8科目やらないといけないわけです。
3.世間はどんどん再チャレンジできない社会へ
< 日本の景気が良かったころは司法試験に撤退しても、それなりの生活ができる可能性が高かったわけで、「保険」がありました。
しかし、失われた10年は20年となり、もはや20年以降は失われたのが当たり前になってカウントすらされなくなりました。製造現場に限らず様々な分野でオートメーション化が進み、非正規雇用が増加し、専業受験生でないと合格の難しい司法試験受験生は、空白期間の多さから再チャレンジは当然難しくなっています。
弁護士の増加により、昔のように弁護士資格さえあれば十分な稼ぎが確保できた時代は終わり、弁護士ですら就職難が叫ばれる時代となり、リターンが減ったにも関わらず、リスクはものの見事に高まっています。そら新しく法曹になろうという志望者は減って当然です。
4.実質的な合格率は限りなく旧司法試験に近づいてきている
元々、新司法試験は合格者3000人、合格率8割をうたい文句に法科大学院の生徒を募集したのですが、今や合格者は1800人で合格率は2割ない状態です。
そして、合格者は当初の予定の半分の1500人まで減る予定です。なんという酷い国家的詐欺でしょうか!?
「責任者出てこいや!」と叫びたくなる人もいるでしょうが、責任らしい責任を取る方はいません。歴史的大失敗があっても誰も責任を取らないなんて、この国の闇は深いですね。もしかしたらこの国、実は失敗者に優しい国なのかもしれません。
韓国にも「日本のロースクールは失敗」とはっきり言われ、反面教師にされている悲しい状況です。ネトウヨの人は激怒してくださいよ。まったく。
世間では、見かけの合格率が上がったことだけを見て、「言うて合格率高いやん」という風潮がありますが、かつての旧司法試験であれば受験していただろう大学3回生、4回生、ロー1回生、2回生、3回生、予備試験不合格者、受験資格喪失者は受験者にカウントされていないのです。
予備試験不合格だけで約12000人にいますから、その人たちだけでも含めて考えると、実質的な合格率は1割を切ります。
さらに予備試験は受けなかったけど、昔の制度なら司法試験を受けていたという人を含めると…合格率は5%とかになりそうですね。旧司よりは一応高いよ!やったね!
5.経済的負担
法科大学院の年間授業料は国立でも約80万円です。
授業料だけでも最低でも160万円はかかるというわけです。当然、経済的負担はかつてより大きいですね。
金持ちの子しか弁護士になれないという批判はまさにその通りだと思います。私のように貧乏な人は、学歴とプライドを捨てて逆学歴ロンダリングをすることで授業料を免除してくれるしょぼいローに行くしかありません。
しかし、そのしょぼいローもどんどん廃止になってきていますので、お金のない方は本格的に弁護士になれなくなるでしょう。
それに、旧司法試験の頃は司法修習が給付制であり、合格者はお金をもらって司法試験後に行われる修習を受けていました(今や当たり前になりすぎて忘れかけていました。)。
それが今はお金を貸してくれるだけで、合格者は1年間無給で修習を行わなければいけません。ブラック企業でも研修中に給料は出すというのに、この国は将来裁判官や検察官になるために研修している人にも給料出してないんですよ。なんということでしょう。
6.試験の難易度はあまり簡単になっていない。むしろ難しくなっているところが多い
新司法試験を簡単なものと考える愚の骨頂、衆愚の極みともいえる風潮が広がっていますが、世の中は残酷なものでして、司法試験がすごく簡単になったみたいなありがたい出来事なんか起こるはずがありません。
よくよく考えてもみてください。法曹は人の人生を大きく左右する職業。そう簡単に裁判官、検察官、弁護士にならせてくれるわけがないのです。
現役の弁護士だって、弁護士の利用量が増えていないのに弁護士の数を増やしまくられたら自分たちの稼ぎが減るわけです。「法曹の質が~」みたいに一般人を言いくるめるそれらしい理由をつけてできるだけそう簡単に合格できないようにしたいに決まっています。だからこそ合格者を1500人まで減らしていってるのです。
結局、旧司法試験で問われていたような高度の論述能力は現在の新司法試験でも重要ですし、確固たる知識・理解がないと太刀打ちはできません。
そして、新司法試験では、「事案を的確に把握して素早く解答を出す能力」「事案に当てはめて結論を出す能力」という旧司法試験ではそれほど問われてこなかった別の能力が問われるようになっており、旧司法試験にはない質の難しさが受験生を苦しめることになっています。
「新司法試験はもっと基本ばかり聞くはずだったのに、どうしてこうなった。旧司法試験と大差ないやないか」
「高い情報処理能力、即答能力を求めすぎだ。難しさの質が変わっただけで、難しいことに変わりがない」
などと様々な嘆きや失望が、受験生や教授、予備校教師から多く聞かれる状況です。
さすがに500人しか合格しなかったころに比べれば幾分かはマシかもしれませんし、もしかしたら偏差値80の難易度が79に下がっているぐらいのことはあるかもしれません。
しかし、世間が考えているように偏差値80から一気に70まで下がったみたいなことだけは決してありません。
現在では、最後らへんの旧司法試験の合格者の数に近づいてきていますし、ほとんど旧司法試験と同じレベルと考えたほうが良いと思います。
むしろ論証部分をしっかり覚えていただけではまるで通用しないので、高い情報処理能力、即答能力が問われる点で旧司法試験より難しいものと思って覚悟して臨むほうがよいでしょう。
こんな感じで司法試験の負担はすごく重いです。
相当の素質と熱意、恵まれた環境のある人以外は、踏み入れてはいけない世界です。
というか、相当の素質と熱意のある人でも平然とつぶれていきますからね。この世界は魔境であり修羅の世界です。
※むしろ2000年の必修化の際には、「両方やるとか正気かよ…頭おかしい」という意見が多かったらしいのですが、今や両方やって当然であり、当時としては狂気の沙汰が当たり前になりました♪