語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

何でも自己責任にしたい人々の思考

 今の日本は「それはさすがに自己責任ちゃうやろ」というものまで、何でもかんでも自己責任にする風潮が強い。

 もはや、「あれ?自己責任って何だっけ?」と思わせることも多い。自己責任というもの自体がゲシュタルト崩壊するほど自己責任という言葉が濫用されている。

 

 相手が子供だろうと、事故に遭ったり殺されたりしても自己責任と言われるカオスな世の中と化していますが、世の中には、自分に都合のよいように物事を曲解する人たちというのが実に多く、そういう人たちが何でもかんでも自己責任にするのではないかという話をしたいと思います。

 


 誰だって気を付けていても事故に遭うことはある

 しっかり予防に努めていても病気になる

 持病がなく高齢でなくても、障害をもった子供を授かることもある

 

 一定確率でそんな理不尽な思いをする人が出てくるのは当然のことで、ただ運が悪いだけの話です。

 しかし、人というのは認知機能がガバガバなので、どうしてもスピリチュアルに走りがちになります。「行いが悪かったから」、「前世の罪を負っているから」などと意味不明なことを考えて、合理化を図りたがるのです。


 まともな人がこんなひどい目に遭うなんてあってはならない

→まともな人はこんな目に遭わないはずだ(都合のよい物語を勝手に作り出す)

→こんなひどい目に遭ったのはその人が悪い人だったからだ(合理化完成)

 こんな感じの思考プロセスが無意識のうちに行われているのです。

 

 「どうせあのぶどうはすっぱかったんだ」というように自分に都合のよい合理化を図るなんてことは心理学の点からよく言われていることですし、こんな風に自分が納得できるよう都合のよいことを考えている人って身近にいっぱいいますよね。

 「努力すれば必ず成功する。成功していないのは努力が足りないからだ。」とかわけのわからない言っているカルトにはまった人っていっぱいいますもんね。

 

 

 都合のよい人というのは、自分の中では合理的に完結された物語(客観的に見ればオカルト)が形成されるのです。

 だからこそ、「悪い結果が出ているのはあんたが悪い」的な態度をとって、不幸な目に遭った人たちを糾弾する人が後を絶たないのではないでしょうか。

 私は心理学とか適当にしか勉強してないので、詳しいことは知らんけど。

 


 野球中継やネットでの野球談議を見ていてもオカルトに走る人は本当多いです。

 投手に援護がもらえなければ、すぐに「投球リズムが悪いから」などと言い出す人がいっぱいいます。

 良い投球をすることの多い選手はエースに多く、そのエースは日程上他球団とのエースとぶつかりやすいので、当然援護は貰いにくくなって当たり前なのに。

 あと、野手陣が援護しなきゃと強く思いすぎて動きが固くなってしまうということもあるので、投手が悪いわけではないのに。


 本当に投手が悪いこともないとは言いませんが、たいていは野手が悪いです(断言)。それなのに、すぐ投手の(自己)責任にされがちという理不尽な慣習が根付いています。

 まあ、最近は、第1回WBCで正捕手を務めた元ロッテの里崎氏のように、オカルトをズバズバ切り捨てる解説者が増えてきたからまだましになってきてはいるのですが。

 あと、今でしょの林修先生もいるなんJなどの影響で、野球を見る目がしっかりしている人によるオカルト批判が増えてきたので、野球界においては不当に自己責任にする傾向がマシになってきています。

 

 一般社会はいつになったら、不当に何でもかんでも自己責任にする風潮がマシになっていくのでしょうかね?

 自己責任として切り捨てるなら、ちゃんとそれだけの根拠を説明しろよという話です。とりあえず聞こえがいいから、何も考えずに自己責任と言っているパターンが多すぎる。