語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

ネットは集合知によりもっと可能性をもつと思ってた

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 ネットが登場し普及する前、一般市民に広く情報を伝達することができたのは一部のマスメディアぐらいだった。

 それに、専門的な情報は、大学や研究機関など一部の機関の中でしか共有されず、一般市民がそれを入手することは難しかった。

 

 しかし、インターネットの登場及び普及により、その状況は一変した。

 ネットにより、一般市民でも多くの人に情報を発信することが容易となり、一般市民の様々な知識、理解、経験を多くの人が共有できるようになった。

 マスメディアが誤ったことを伝えていた場合に、大衆はそれが間違いであるとわかりやすくなった。そして、マスメディアが意図的に伝えない情報を一般市民が伝えることで、人々は今までより多くの情報を入手できるようになった。

 専門知についても、一般市民が専門家の言うことを批判することが容易となり、専門家の言っていることが怪しい場合には、それがわかるようになった。

 

 インターネットの登場により、人々は有史史上最も多くの情報を目にすることができるようになり、人類はさらに賢くなったのである。

 

 

 しかし、私はネットによって、もっと人々は適切に的確な情報を得ることができ、人類がより賢くなってくれるものだと思っていました。

 一応、昔に比べれば、遥かに現代人は情報強者であり、様々な先人の英知をわがものとしているのですがね。

 今日は、私はもっとネットに可能性を感じていたという話をしようと思います。

 

 

 インターネットを人々の知を結集した集合知の場として利用しようとする試みは、WikipediaGoogleなどが行っていることです。

 ある程度その試みは成功しているし、私たちは普段から何か調べたいことがあったらその調べたいことについて詳しい人のコメントを見るものです。意識的にしろ無意識にしろ集合知を利用しています。

 

 しかし、インターネットには、間違ったこともいっぱい書かれていますし、まともな意見ばかりがあるわけでもないです。

 それどころか、現実は、嘘やデマがいっぱい書かれていますし、罵詈雑言、誹謗中傷が多すぎます。

 金目当てで適当に書かれた記事(内容の信ぴょう性が怪しい)、

 不当な偏見ばかり集められた記事(見る人の判断能力が低いと誤りを助長する)、

 差別的表現が平気でなされている記事

 など、問題のあるサイト・ページは多いです。

 

 これらの問題のあるサイトやページが、ちゃんと問題があるとわかればいいですが、正しいかどうかはパッと見ではなかなかわかりません。

 多くの人が支持しているからと言って必ずしも信用できるとは限りませんし、そもそもどれだけ多くの人が支持しているのかははっきりわからないことが多いです。

 しっかりと大量の情報を仕入れ、知識理解を十分なものにして、適切に判断を行わなければ真実にはなかなかたどり着かないでしょう。

 

 しかし、誰もが、どんな分野でも的確に判断ができるわけがありません。真実にたどり着かずに、虚構を信じてしまうことも多々あるのです。

 

 

 それに、適切かつわかりやすく情報を伝えてくれる質の高い記事があっても、上記の問題のある記事によって埋もれてしまうことは少なくありません。

 そもそもしっかりとした判断を行う上で必要な情報が手に入らないこともままあるのです。賛否両方の合理的な意見をしっかり目にしたうえでどちらが正しいか判断するという場合はむしろ少ないのです。

 

 

 ネットの情報は玉石混交とよく言われますが、いしっころがあまりに多すぎるせいで、しばしば宝石は埋もれてしまいます。

 宝石と石が混ざり合うカオスな状態になっていて、人々は宝石と石の区別をすることすら難しいのです。これでは、ネットに人類の英知が集められていても、それを適切に入手し利用することは困難です。

 

 「嘘を嘘と見抜けない人にネットを使いこなすのは難しい」とよく言われますが、嘘を見抜けない人はいっぱいいますし、現段階では人工知能ですらそんな状態です。

 ネットにも真実は書かれていますし良い情報もいっぱいありますが、そうでないものが多すぎて、現状では、ネット以外のマスコミなどの方がまだ信用できる・まだ知の獲得場所として適切であるという状態となっています。

 

 

 ネットには多くの情報が集められ、それが取捨選択され、吟味され、検討され、やがてまともな情報ばかりが残っていく。その結果、一般市民は適切な情報を大量にネットから仕入れられる。そういう理想が一部の賢い人の間で唱えられていました(思想の自由市場という理論のことですね。)。

 しかし、現実はそう上手く入ってません。声の大きい者の意見ばかりが注目され支持され、正しい意見が埋もれてしまうことも日常茶飯事でしょう。

 

 

 今、WikipediaGoogleなどが、ネットを利用して人類の英知を集め、それを一般市民に利用してもらおうと色々努力をしていますが、その取り組みは果たして実るのでしょうか。

 個人的には、インターネットにはあまりに石が氾濫しすぎてしまったため、今のマスメディアを遥かに凌駕するほどの集合知の場になるのはキツイと思っています。

 そういう場を作ろうと思えば、ネットに代わるまた別の情報伝達媒体が必要になってくるのではないかとか妄想しています。