語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

家庭という現代の治外法権

 北海道の小2置き去り事件が連日世間をにぎわせていている。

 幸いにも、行方不明になっていた少年は無事発見され、奇跡の生還劇を遂げたわけだが、僅か7歳の少年をしつけと題して危険な山中に放置したのが事件のきっかけであったため、「親はどこまでのことを教育として行えるのか」という親の教育の在り方が連日ワイド―ショーなどで話題にされている。

 

 

 そもそも、こんなの教育じゃなくて、ただの保護責任者遺棄じゃないか。ただの犯罪じゃないかと突っ込みたくなるが、どうやら親が逮捕されるということはなく、刑事責任が問われることもなさそうである。

 

 寒い北海道の地で山の中という危険な場所に僅か7歳の子どもを放置すれば、身体はもちろん生命の危険が生じるはずである。

 実際、行方不明になった少年は最低気温が一ケタにもなる北海道の地で6日間もサバイバル生活を強いられた。運よく自衛隊の施設を見つけることができ、運よく飲料水や寝床を確保することができたおかげで、たまたま生き延びただけで、普通なら死んでいるだろう。

 それだけの危険な行為をしたにもかかわらず、親は警察から叱られるだけで、このまま何らの刑事責任も問われないまま終わる可能性が高いのだ。

 

 

 この事件が特に日本の問題点を明らかにしているが、日本では家庭内のことは家庭内で解決すべきものとされ、よほどのことがない限りは警察は介入しない。

 親が子どもに虐待をしていても、死亡するぐらいまでの重大な事件とならない限りは、警察の出番はない。警察どころかなかなか行政も介入できないのが実態である。

 親が子どもに、暴行、傷害、遺棄、侮辱、わいせつ、強姦をしようとも、そのほとんどは闇に葬られてしまい、親が刑罰を科されることはまずないのである。

 

 アメリカの一部の州では、子どもを一人で遊ばせるのは育児放棄であるとして、親権停止などの処分がなされることもあるが、日本ではよほどのことがない限りは親権喪失(民法834条)や親権停止(834条の2)などの重大な処分はなされない。


 フランスでは13歳未満の一人での留守番を禁止しているし、スウェーデンでは、子どもを一定の場所に閉じ込めたり、子どもに暴言を吐くことを禁止している。

 先進国では子どもの人権が奪われてはならないとして、親の横暴を防ぐための立法化をしていて、警察の介入ができるようにしているのである。

 

 

 しかし、日本はいまだに子どもは親のいいなりで良いとでも考えているのか、子どもの人権という意識がまだ強くは根付いていないのか、親の横暴を防ぐための手段に乏しい。

 一応4年ほど前に親権停止の制度が設けられたりするなど法制度は整えつつあるし、児童相談所もより積極的に活動できるようになってきているだろうが、それでも、いまだに家庭の大部分は治外法権であり、親の思うがまま、親のやりたい放題が続いている。

 ネグレクトやハラスメントどころか立派な犯罪行為が行われていたとしても、それを防ぐことは難しく、大部分は罰することすらできないのである。※

 

 

 まともな人であれば、幕末に日本がアメリカと日米修好通商条約を締結したことで、その後治外法権の撤廃のため、偉人たちが様々な面で尽力した歴史を知っているはずである。

 「治外法権はやりたい放題を可能にしてしまうおそれがあるからダメ」というのがわかっているはずである。

 それなのに、家庭はいまだに実質的な治外法権が許されているのだ。

 

 果たしてこの状況がそのまま放置されてよいのだろうか。他の先進国のように、子どもの虐待を防ぐために必要な立法化を急ぐ必要があるし、刑罰をもって親を罰する必要もあるだろう。

 親は子どもに悪いことはしないだろうという性善説を安易に信じていたら、犠牲となる子どもは減らないだろう。今回は、たまたま運よく死ななかっただけで、普通は一人の少年が親の横暴により死んでいたのである。その事実を重く受け止めなければならない。

 

 

 とりあえず、今回の事件の親は保護責任者遺棄で立件されるべきだし、捜索にかかった費用は全額負担させるべきだと思う。特に後者は絶対やるべきだ。こんなアホ親のためにどれだけの税金が使われたんだという話だ。

 

 

※犯罪とは、構成要件に該当する違法かつ有責な行為をいうので、警察にバレず、逮捕されなかったとしても、犯罪は犯罪です。

 よく言われる「バレなきゃ犯罪じゃない」は思い切り誤りですので、ご注意ください。