語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

自分に都合の良い話ばかり耳に入れる人たち

 受験界では迷言を吐く人たちがいっぱいいるし、「お前は何を言ってるんだ」と思わせる言動をする人たちは多い。

 その中でも、私が理解できないのは、現実を直視せずに都合のいい話ばかりに飛びつく人たちだ。

 

 

 例えば、程度の差こそあるものの、「マーチは3ヶ月で受かる」「センター8割以上取れて当たり前」「ガチれば宮廷や早慶ぐらいは余裕」みたいなことを本気を思っている人たちが割といる。

 世の中にはそういう人が全くいないとまでは言わないが、余裕でセンター8割以上を取れるのは、基本的に県でトップクラスの高校の中でも成績が上の方の人たちばかりである。

 それに、幼少期から勉強ができた上、ずっと真面目に勉強し続けていた人達でも、涙をのんで東大や京大を諦めて入学するのが阪大や慶応なのである。

 

 実際にどういう人たちが受かっているか、有名大学に受かる人たちはどのように勉強しているのかを見れば、どれだけ努力が必要かはわかるはずなのに、どうも現実を直視せずに的外れな幻想を信じてしまう人たちが割といる。

 「○○は余裕」とか思っている受験生は、是非とも学歴板の先人たちが嘆き、悲しみ、悟った姿を見て、現実を直視するべきである。例えば下のようなものだ。

sonicch.com

 便所の落書きと揶揄される2chであるが、一部にはためになることを言っている人もいるため、正しく使えば有能な情報ツールとなる。時間の無駄遣いなのであまり目を通すべきではないが、有名なコピペぐらいは目を通しておいた方が良いでしょう。

 先人のありがたい教えは、ありがたくしっかり受け止めたほうがよい。

 

 

 あと、最近は、受験生ではなくなった人が、金さえあれば受かるというようなことを耳にすることが多い。

 昔であれば、「負け惜しみだし、恥ずかしいからやめよう」と自制する人が多かったと思うが、最近は割と色んなところで耳にする。

 

 確かに、受験においてお金というのはすごく重要だ。

 私のように早稲田行こうかと言っただけで、親からブチ切れられたりする人も世の中にはいる(東北大学でもブチ切れられる始末だ。東北民の親御さんからしたら涙を流して喜んでくれそうなのに)。

 それに、試験はどんどん受験生の対策に対抗して難しくなっている。国語も英語もどこの大学も長文化傾向にあり、30年前と比べると二倍以上なんてことも普通にある。基本的なことを聞くはずのセンター試験ですら、近年長文化の傾向が激しい。

 受験のプロである予備校でしっかり対策を練らないと、有名大学への合格は正直言ってかなり難しいだろう。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

Foresee 2020 vol.4 すでに高校入試・大学入試の英語が変化を始めている〜傾向と対策〜 (教育情報)

 

 要するに、お金がなければそもそも受験できないし、合格できるための実力を蓄えるには予備校に行く必要もあるわけである。

 

 しかし、だからといってお金さえあればなんとかなるなんてことがあるわけがない。

 それが本当なら、全国の親御さんたちは、息子娘が勉強せず苦しむことはないはずであるし、教師たちは生徒の進路について悩まなくてよいはずだ。

 「金があればなんとかなるなんて嘘」というすごくわかりやすい例として、わが国の現在の首相である安倍首相がいるじゃないか。

 安倍首相のような人間は世の中に数えきれないほどいるだろう。結局、本人がその気になってやらないと良い大学にはなかなか入れない。

 

 一部の私立は話が違うものの、金さえあれば有名大学に行けるなんてことは到底ありえないわけだ。

 大学受験における競争という点で恵まれた環境にいる者も、それだけの努力をしたからこそ有名大学には入れているのである。

 それを金の力と言って、本人が長い間積み重ねてきた努力を無視するのは、ひがみにしてもあまりにひどすぎる。まともな人であれば、他人がしてきた努力ははっきり認めるべきであろう。いくらその人が恵まれていたとしても。

 

 金がないと競走上圧倒的不利だし、「金さえあればいいとこ行けたのに、金がないという不運があったせいで俺は行けなかったんだ。能力がなかったわけではないんだ。」という主張は、全くの間違いというわけでもない。

 しかし、残念ながら世間はただの負け惜しみとしか受け取らない。こういう主張はしないのが無難であろう。

 

 

 しかし、金さえあれば云々は嘘とは言ったものの、AO入試や推薦入試に関しては本当に金の力というところが大きいから、何とも言えないところもあるなあ。

 適当にNPO作ってそこに受験生を入れて実績を作り、慶応とかに合格させるような塾もあるみたいだし。慶応のAOなんて、ある塾の生徒が合格者のほとんどを占めていたという話もありますし。

 勉強したくない人は、金の力をふんだんに使って、AO入試や推薦入試でそこそこのところを狙えばいいと思いますよ。本当。

 こんなのがまかり通っているのに、人は出身大学ばかり見るわけですよ。金のない人は圧倒的不利で、受験生間でとんでもない不平等があるのにそんなの世間は無視なわけですよ。全く酷い社会だ。

 

 「金さえあれば」と言って努力してきた人の努力を認めない人は批判されて当然ですが、「金がないと競争上圧倒的不利。なのに出身大学によって社会的評価も行ける会社のグレードも変わってしまう」というのは間違いなく問題でしょう。ここは大いに批判されないといけない。