語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

なあなあで教師を酷使し続けるのはもうやめよう

 かねてから教師の部活動の負担が重すぎることが問題とされてきていたが、ようやくしっかり顧問の先生を休ませようという流れになっている。

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 私は中学高校ともに運動部所属だったが、考えてみれば、土曜日練習・日曜日試合というパターンが多かったし、土日ともに顧問が付きっ切りであることが多かった。

 もっと緩いところもあるだろうが、運動部はだいたいこんな感じで土日の片方又は両方に予定が入ることが多いだろう。

 

 生徒に何かがあったときに責任を取るのは顧問だし、顧問が主導となって練習の指示をしたり、試合での作戦の指示をしたりすることが一般的である。
 手当がたいしてもらえないのに、顧問は否が応にも自分の時間を犠牲に頑張るしかないわけだ。社会は顧問を頑張らせすぎなのである。

 

 

 今までは「生徒が頑張ってるんだから、当然顧問もそれに付き合え」「国民の税金で食ってるんだから、それぐらいはやれよ」との風潮で、顧問頑張らせすぎ問題はなあなあにされてきた。

 当事者である教師ですら、教師は生徒のために全力を尽くして当然みたいな考えで、当然のように他の教師に部活動の負担を負わせてきたわけである。

 

 しかし、冷静に考えてみよう。
 土曜日が潰されるだけも心身の疲れは溜まるのに、日曜日までなくなるわけだ。
 休日とは、労働で失われた体力・気力を回復させるための期間なのに、その期間が大幅に削られたりなくなったりするわけである(ちょっとマルクス入ってるな。この説明)。これは正直キツイ。

 誰だって自分や家族のためにゆっくり過ごす時間が十分に欲しいだろう。1週間休みなしはさすがに負担が重い。

 


 心底好きで趣味で部活動の顧問をしている人でも、休みが満足にないのは厳しいだろう。ましてや心の底から好きなわけではない人はより苦しい。

 頑張りすぎは心身の故障を招く原因になるし、実際教師の休職は結構多い。

 今は親の要求も過大になってきているし、昭和のころのように適当でぞんざいな扱いを子どもにすることは許されない。ただでさえ負担が重くなっているのに、強制的なボランティア(矛盾)として部活動の面倒まで見ないといけないのだ。


 QOLの向上が叫ばれている今日で、「せめて週1日ぐらいはしっかり休めるようにしせめて土日のうち1日ぐらいは全休であってもよう」という流れは至極当然のことだ。
 むしろ、さんざん言われてきたのに、何故今まで実効的な手段が採られなかったのかという話である。


 民間のブラックもそうではあるが、官製ブラックもできる限りなくすべきだろう。

 せめて土日のうち1日ぐらいは全休にするぐらいのことは許容されるべきではないかと思う。

 安易に「税金で飯食ってるんだから」「教師はそれぐらいやって当然」と言って休みをゼロにするのはさすがに乱暴すぎないだろうか。