語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

ファンキー加藤とベッキー・乙武はいったいどこで差がついたのか

 先日、元FUNKY MONKEY BABYSのボーカル兼リーダーのファンキー加藤の不倫が発覚しましたが、割と謝罪会見は好評のようですし、どうもそこまで凄く叩かれている様子はありません。

 せいぜい野球ファンから「野球選手の聖地であるマウンドで謝罪会見するな」と言われたぐらいで、紅白にも4回も出場したほどの知名度のある歌手の割には、全然叩かれていないといえるでしょう。

 

 少し前にワイドショーをこれでもかというぐらい騒がせたベッキー乙武洋匡氏とは大きな違いです。

 この二人は親の仇かと思うぐらい盛大に叩かれたのに、何故ファンキー加藤はそれほど叩かれないのでしょうか。

 

 そこで、「ゲスの極みとはお前みたいなやつのことだ」と友人から言われ、FUNKY MONKEY BABYSのLiveにも行ったことのある私が、ファンキー加藤がさほど叩かれず、ベッキー乙武がめちゃくちゃ叩かれた理由を考察しようと思います。

 

 

○職業の違い

 三人はいずれも有名人・芸能人ですが、細かく分類するとファンキー加藤は歌手、ベッキーはタレント、乙武氏は文筆家・タレント・コメンテーター・文化人辺りになるでしょう。

 歌手は、歌が評価されたなんぼの職業ですし、ファンにとっては歌さえよければ別に不倫してようがそれほど問題ないのです。

 あと、歌手なんて往々にしてそういうものだとファンの人もわかっているところがありますし、慣れっこなんですよ。

 

 それに対して、タレントは好感度が命となる職業です。

 特にベッキーは好感度を売りにして、多くのレギュラーを獲得していたタレントですし、それが本当は略奪愛を企画する下種な人間と発覚したわけですから、当然ダメージは歌手とは比べ物にないぐらい大きいです。

 視聴者からしたら、こんな人間をテレビで見せられていたのかという気分にもなります。

 

 乙武氏もタレント的な要素が大きいですし、「障碍に立ち向かい社会的成功を収めた」という好感度を元に活動をしていました。

 それが、子どもがいるのに好き放題不倫をして、妻を泣かせる下種野郎とわかったわけですから、こんなのがマスコミに礼賛されて偉人面していたのかという気分にもなります。

 

 

○不倫の悪質性の違い

 ベッキーは、川谷夫妻が結婚して始めての年末年始という最悪のタイミングで、新婚すぐの妻から略奪愛を企画しています。

 川谷側も悪いとはいえ、この時期になってようやく夫婦でゆっくり過ごせると思っていただろう川谷妻の心中を考えると、悪質性は結構高いでしょう。

 

 乙武氏は、気の迷いではとても説明できないほど多くの人と不倫をしており、さらに妻が育児で大変なときに自分だけ楽しい思いをしていたということで、悪質性・印象は最悪です。世の女性たちから大バッシングを受けるのも当然でしょう。

 

 それに対して、ファンキー加藤は…子どもまで産ませているので不倫の中でも悪質性は最悪レベルですね…これはイカン。

 これは、不倫の悪質性ではあまり差がなさそうですね…

 

 

○謝罪の仕方・内容の違い

 ファンキー加藤は不倫発覚後すぐ謝罪しましたし、特に言い訳もしませんでした。

 なので、「やっていることは酷いが、潔いし全力で叩く必要までないか」ということになったのでしょう。

 

 それに対して、ベッキーは、最初「友達」ということにしてしらばっくれようとしましたし、記者からの質問にろくに答えず、逃げるように謹慎に入りました。

 多くの人にとっては、「しらばっくれて逃げた」という印象が強く残り、「謝罪もろくにしない酷い奴だ」という印象になってしまったわけです。

 

 また、乙武氏は、すぐに謝罪こそしましたが、「子どもの面倒ばかり見て自分はほったらかしにされたから」みたいな言い訳をしたため、印象としては最悪でした。

 世の女性たちはもちろんのこと、男の浮気心に理解を示しやすい男性たちですら、「自分が好き放題したくせに妻が悪いというのか。こいつは」という印象になってしまったわけです。

 

 さらにさらに、妻が「自分も悪かった」というような文章を出す羽目になったことで、世の人たちは激おこプンプン丸状態から、ムカ着火ファイヤーを超える状態にまで怒りが爆発してしまいました。

 前に記事で書いたのですが(↓)、世間は女性に酷いことをする男性には極めて厳しいです。女を泣かせる男はクズと言われ、盛大に叩かれるものです。

 今まで「障碍者だしあまり叩いてはいけない」、「文化人で聖人だし叩いてはいけない」との認識を抱いていた人まで、乙武憎しとなったわけです。

yamifuka.hatenablog.com

 

 

○元々火種をもっていたか

 ファンキー加藤については、世間から「ええ曲出すやん」ぐらいにしか思われておらず、歌以外にそれほど関心を持たれていなかったので、特に火種のようなものはなかったか小さかったといえるでしょう。

 

 それに対して、ベッキーは、いろんなテレビ番組に出演していましたし、「こいつ特に才能もないのに何でこんなテレビに出てるんや」「ちょっとかわいいハーフだからといってちやほやされやがって」みたいなヘイト・嫉妬が集まっていたものと考えられます(個人的には、ベッキーじゃなくて起用する放送局が悪い気がするのですが)

 「こいつばっかりちやほやされて、腹が立つ」と普段から思われていたところで、実は好感度など全くない下種な人間であると発覚したわけです。それはもうアンチとしては大喜びです。

 

 一方、乙武氏はというと、ベッキーとは比べ物にならないぐらいスキャンダル待ちをしていた人が多いでしょう。

 というのも、乙武氏は、「車いすの客は対応できない」と事前に言われていたのに、「自分(車いすと合わせて40kgはあるとか)を2Fのレストランまで運べ」とゴネた上、それが断られるとツイッターでレストランの実名を晒し、その後多くの批判が寄せられてもしらばっくれるという事件を起こしていたのです。

 

 それを契機に、大学時代からの悪行がネットで拡散されるようになりましたし(車いすで人を引きそうになっても謝るそぶりも見せなかった、常に女を侍らせて偉そうにしていた、子どもに自分の排泄の介助をさせていたなどなど)、ろくに実績もないのにスポーツライターをやったり教育評論をしたりしたことが問題視されるようになりました。

 ネットでは3年以上前から、「乙武は聖人ではない。むしろかなり問題のある奴だ」という認識が広まっていたわけです。

 

 それなのに、世間では変わらずに乙武氏を聖人君主であるかのように扱い続けていましたし、次は政治家として頑張ってもらおうという機運まで出てきたのです。

 さらに、乙武氏には「障碍者である乙武氏へのバッシングは何があっても許されない」という信者とも呼ばれる人が大量についていました。しかし、信者というのは、バッシングと正当な批判を区別する能力がないものなので、(レストラン問題などで)まともな乙武批判をしてもバッシングとみなされ叩かれるという状況が続いていました。

 

 当然そんな状態は面白くないですし、怒りしか出てきません。

 「本当は悪人のくせに、障碍を売り物にすることで聖人のように扱われている」と思い始めた人がかなりの数出現し、乙武氏のスキャンダルを今か今かと待っていたのです。そこまで行かなかない人でも、「この人煽てられすぎて調子乗ってる。なんか感じ悪い」ぐらいに思っていた人は多かったでしょう。

 元西武ロッテのGG佐藤氏の言葉を借りれば、「一億総しくじり待ち状態」だったわけです。

 

 

 他にもいろいろ違いはあるでしょうが、ファンキー加藤ベッキー乙武氏の違いは、

・歌さえよければ評価される歌手か好感度こそ大事なタレントか 

・言い訳をせず真摯に謝罪をしたか

・元々火種をもっていたか

 の点にあるのではないでしょうか。

 

 これを読んでいる方も、問題を起こしたときは言い訳をせずに真摯に謝罪をするのが良いと思います。

 なんだかんだで、日本人は謝罪に甘いところがあるので、謝罪をすれば許してもらえることもあります。少なくても「こいつは謝罪すらしない」とさらに怒られることは防げるでしょう。