語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

電車内で参考書を開くかスマホをいじるかで割と人生は変わる

 合格者と不合格者との間には、すごく差があると思っている人がいる。

 

 確かに、社会からの扱いや評価という点ではとんでもない差があるのは事実である。

 しかし、能力という面で見ると、さほど差がないことも少なくない。

 試験にも依るが、合格ボーダー付近に人が集まるケースは非常に多いし、私立大学の入試なんかではもう1度試験を実施すると半数は合否が入れ替わるなんてほどボーダー付近に人が密集していることも珍しくない。

 たった1点の差で人生を切り開ける人がいる一方、涙する人もいるわけだ。

 

 

 とはいえ、「電車内でスマホ見るぐらいは別にええやん」と思う人もいるだろう。

 タイトルで挙げたことはさすがに極端だと思う人も多いだろう。

 

 しかし、実は意外と間違ってはいない。

 というのも、移動時間のロスというのはばかにならないのだ。1日30分でも、1年では182時間半にもなる。

 この時間の差が、合否を分けるのに十分な差になるのだ。実際、↓のようなデータもある。

www.toshin.com

 

 

 これによると、合格者と不合格の勉強の時間の差は、1日たったの27分だ(高校3年間の平均をとればもっと差は少なくなる。)。

 今の時代でも大学受験の合否は人生における重大事項であるが、その合否が移動時間の差で変わってしまうのである。なんともおそろしいことだ。

 これを見ると、本当に参考書を開くかスマホをいじるかで差がついてしまうというのが、大げさではないとわかるだろう。

 

 東進のデータをどこまで信用していいかは怪しいが、僅かな時間の積み重ねで勝負が決まるのは間違いなく事実だろう。

 それがわかっているからこそ、進学校の学生は電車の中でも参考書をひたすら読むのである。

 

 

 そして余談ではあるが、さらにレベル上がると、通学路を歩きながらでも参考書を読んだりする人が出てくる(私もそうだったが)。

 何もそういう人たちは、普段から周りを気にしない人というわけでもないし、頭がおかしいわけではない。「変人扱いされようが合格すればこっちのものだ」「合格すれば人生は良い方向に転がる。一時的に変人扱いされるぐらいどうってことない」とわかっているから、そういう行動に出るのである。私は何故か受験前も後も変人扱いされているが。

 

 

 進学校に通い有名大学に合格する人というのは、ほんの少しの移動時間のロスすら無駄にしない事が本当に多い。

 それこそ通学路でも本を読んでいるほど気合いの入っている人は、やはり京大とか阪大に受かっていたりするし、少なくとも神戸大には受かっていたりする。

 

 さすがに通学路中に本を読むのは危ないところもあるので、安易にお勧めできないが、移動時間で明暗が分かれることは心にとどめてほしいと思う。

 

 思えば、大阪都構想もイギリスのEU離脱国民投票も僅差だった。割と僅かな差で大きく事が変わるというのは実によくあることなのである。その僅かを追及していける人が受験に限らず色んな方面で成功していっているのかもしれない。