移動時間のロスは人生のロス
タイトルの言葉は、歩くのが遅い友人に向かって私が放った暴言である。
正確にはこの後に、
「○○くんももっと早く歩いて無駄な時間を削っていたら、より良い人生が待っていたはずなのにそれをしなかった。これは国益の損失であり、国に損失を与えた○○くんは非国民だ。」
などと小姑より酷い小言が続く。
さすがに歩くのが遅いだけで非国民扱いは酷いものであるが、過去の記事でも書いた通り、移動時間のロスというのはなかなか馬鹿にならない。
そこで、今回は、勉強のこと以外のことも含めて、移動時間のロスがいかに人生にとってロスなのか語りたいと思う。
○1日に使える時間は割と短い
普通の人はだいたい7時間から8時間ぐらいは寝るため、1日24時間と言えども実際には16時間ぐらいしかまともに起きていない。
睡眠時間が短い人であればもっとこの時間が長くなるが、その分集中力が低くなっており時間を有効活用しづらくなるため、結局、まともに起きていて有効活用しうる時間は16時間ぐらいになるだろう。
そして、社会人ならこのうち8時間ぐらいは最低でも労働に費やされることになる。まだ8時間ならいい方で、実際には10時間ぐらいが労働で消えてしまう人が多いだろう。
学生であっても、8時半から16時ぐらいまでは学校に拘束されるし、その後も部活やバイトなどで時間を費やされることになる。部活をやっていない人であっても良い大学に行こうと思ったり、資格試験に合格したいと思ったりすれば、結局社会人と同じぐらいの時間が勉強で消えてしまう。
結局、真面目に生きていると、睡眠時間と労働等の時間を抜いた時間は6時間から8時間ほどになるわけだ。
さらに、食事や入浴などで時間が奪われるし、家でしっかり休息し労働等で消耗した体力・気力を回復させる時間をとる必要があるので、結局自由に使える時間はさらに短くなってしまう。
1日24時間と言えども、人が自由に使える時間はそれほど長くないのである。
その中で1日30分完全に自由になるか、電車等の中で居心地の悪い思いをするかの違いは大きくないだろうか。
○電車等の中でもいろんなことはできるけど…
こんな話をすると、「そうはいっても電車やバスの中でもいろんなことができる。ただの無駄な時間じゃない」という人が当然出てくるだろう。
確かに、電車等の中でも余暇として過ごすことで、家で休息を取るのと同じような効果を望めることもあるし、完全にロスと言ってしまうのはどうかとは思う。
しかし、他人の目があり、人が多く乗車することも多い電車等の中では、家にいるほど休息は取れないだろう。寝転がることなんてまずできないし、電車等は騒音と振動だらけだ。
気晴らしにスマホをいじることができるといっても、家で寝ながらいじるほうがストレスフリーであるし、PCの大きな画面で動画やサイトを見たほうが目にも優しい。それにスマホゲーだけでなく、PS4もできるしWiiUだってできるのだ。
要するに、電車等の中でも遊んだり気を休めたりすることはできるが、できることはやはり制限されてくるし、効率も悪いのである。
また、電車等の中でも、読書できるし、勉強もできないわけではない。
しかし、電車等の中では大量に人がいることが多いし、隣の人が邪魔で、騒音や声がうるさく、人目が気になることもある。
本を読み、勉強するにしてもうるさいし集中力は知らず知らずのうちに削られる。静かなところで勉強するほうが効率いいに決まっているのだ。
勿論、人によってはスタバで勉強するほうがはかどるみたいな人もいないわけではないが、普通は静かな環境で読書し勉強するほうが効率がよいだろう。
あと、電車内でも寝たり、うとうとすることはある程度できる。
しかし、騒音と振動が激しい環境にある以上、やはり寝るにしても効率は悪いだろう。
私も大学時代に一時期片道2時間かけて通学したことがあったが、電車内で寝ても眠りが浅く、思ったほど疲れが取れてないことが多かった。おまけに明らかに首を酷使していた。あのまま片道2時間通学を続けていたら、赤星選手のような悲劇が起きていたことだろう。
寝つきが悪い人はそもそもなかなか眠れないし、ようやく眠りにつけたとしても乗り換えの心配をしたりして思うように熟睡できないだろう。それどころか、席に座れずに立つ羽目になり、かえって疲れが増すおそれだって高い。
睡眠の場、休息の場として使うにしても、やはり効率はよくないのである。
特に、移動時間が長いと朝早く家を出ないといけないため、家で寝る時間まで削られてしまう。満足に睡眠をとることすらできずに、パフォーマンスを落としてしまうおそれも高いのである。
まとめると、1日に有効活用しうる時間はそれほど長くないし、移動時間中は何をするにしても効率がよくない。
労働時間でもないのに、人が邪魔で疲労が思ったより回復しない。それどころかかえってたまることすらある。
本来労働から解放あれて自由に活動ができ、労働で失った体力気力を回復しなければならない時間、それが削られ失われてしまう。
それ考えると、人生のロスと言っても過言ではないのではないだろうか?
子供のころは自分で済むところを選べないから、親の都合に従うしかなく、移動時間が長くて人生損していても、競争において損を被っていても、親に恨み言をいうしかない。自分の力ではどうしようもない。
しかし、大人になればある程度自由が利く(お金がなくて同居するしかないということで聞かない人もいるし、自分と全く縁のない地域での就職・移転は様々な面で難しいだろうが)し、住む場所はしっかり考えたほうがいいと思う。
いつまでも体力がありあまっていて、疲労のことをあまり考えなくても元気でいられると思ったら大間違いだしね。
そういう話をしたら、弟が職場の目の前のアパートを借りた。
さすがに人の言うことを聞きすぎである。