語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

投票しないという行動原理は凄く合理的

 本日、憲法改正など今後の国政を決める上で非常に重要な参議院選挙が行われていますが、投票率は前回の参議院選挙よりやや下がるのではないかと予想されています。

 よく、投票しない人に対しては、「選挙もしないならどういう政策が行われても文句言うな」、「日本が戦争をする国になってもいいのか」など過激なこともよく言われますが、投票しないということは結構合理的な行動なので仕方がない・投票を促すなら制度を変えていく必要があるという話をしたいと思います。

 

 

○投票するまでの時間的コストをなくせる

 現在の選挙制度では、在宅で投票できないし、郵送で投票用紙を送るようなこともできません。

 そのため、このアホみたいに暑い中、投票所まで行かなければなりません。

 「何としても国政に物申す」という強い意志までない人にとっては、わざわざ一票のために投票所まで行くだけの価値がないとなるのも無理はないでしょう。

 

 また、家から離れた大学の近くに下宿していたり、単身赴任で家から遠い場所に暮らしていたりする場合、住所はもともと住んでいた場所のままということもあり、投票するには帰郷する必要があります。

 政治について関心があり投票したいと思っていても、わざわざ何時間もかけて投票のためだけに帰るのは難しく、結局あきらめてしまうこともあります。特にお金のない学生にとっては(一時的に大学付近に住んでいるだけなので住所は変えない)、金銭面の負担から投票を諦めることも珍しくないでしょう。

 

 

○どうせ一票ではどうにもできない

 国レベルの選挙ともなると、僅差になることはあっても一票で差がつくことはほぼないです。

 結局、自分の投票では国政にほとんど影響を与えることはできないと考えると、そもそも投票しても無駄という考えになるのも無理はないし、合理的な行動とも考えられます。

 

 

○投票しないことこそが真摯な対応になることもある
 現在の選挙制度では、わからないから適当に投票するのも、真剣に考えた末に投票するのも同じ一票です。

 真剣に考えている人にとって、政治に関心がない人が適当に政治判断をして問題のある政党に投票することは腹正しいし、辞めてほしいと思うでしょう。
 それならばいっそ、「わからないから投票しません」「政治に強い関心があり強い要求のある人たちに判断を任せる」の方がまだ真摯な行動ではないでしょうか。


 それに、政治に特に言いたい事がないなら、何もしないという意思行動をとることも許されるはずです。

 

 

 以上の点をみるだけでも、投票しないという行動原理は、個人の利益を考える上で合理的なところが結構ありますね。

 しかし、個人にとって合理的な行動でも、集団にとっては合理的ではない行動になりうるという問題はあります。
 

 例えば、若い人が良かれと思っていたり、若い人こそ正しかったりする場合でも、投票という形で声を挙げなければ意見は国政に反映されません。いくら雇用、労働環境、育児などの政策を望んでいたとしても、それらをさほど望んでいない高齢者の横暴を許しかねないのです。

 

 一票自体は極めて微弱であり、数の暴力でおそらく意見は通らないという場合であっても、少しでも多く投票という形で要求し反対意見もそれなりにあることを示せば、政府も反対意見を無視しづらくなるでしょう。

 そのため、一人でも多く投票という形で国政に意見することで、集団にとって少しでも合理的な結果となるようにするのがよいのではないでしょうか。

 個人にとっては損失の方が大きい投票という行動ですが、集団にとっては利益になると考え「やれやれ」と思いながらも投票しに行く方が、社会としては良い方向に動くと思います。

 

 

 あと、時間的コストと経済的コストは電子投票の実施で解決する問題なので、早く導入してほしいものですね。暇でお金のある人ばかりが投票するシステムにしてはいけないでしょう。

 かつての私のように実家にもなかなか戻れない貧乏な学生がいることを忘れてはなりません。