語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

「誰でも大衆に向けて情報を発信できる」という素晴らしいことが当たり前になった時代

 今では誰でもネットを通じて情報を大衆に発信できるようになって久しいため、情報を発信できるということのありがたみは忘れられつつある。

 それどころか、今の10代ともなると物心ついたときからネットが浸透してきていたデジタルネイディブであるから、そもそも当たり前すぎてありがたみを感じることすらないかもしれない。

 しかし、そんな今では当たり前になったことも実はとんでもなく素晴らしい大転換だったのではないかという話をしたいと思う。

 

 

○昔は当たり前ではなかった

 ネットがまだまだ存在していなかった時代、普及していなかった時代、つまりほんの20年前までは、マスコミや、一部の元新聞記者、経営者、大学教授など一定の地位や経歴をもった人ぐらいしか、大衆に向けて意見や情報を発信できなかった。

 

 一般市民はいくら素晴らしい意見や考えをもっていても、それらを多くの人に発信することは極めて難しく、多くの人に発信したいと思えば様々な活動をして知名度を上げるしかなかった。

 それこそ、今のように寝転がりながら、ブログを書いたりツイッターで何かつぶやいたりして、一般市民でも多くの人に情報を伝えられる環境などなかったのである。

 

 

○一部の人しか情報を発信できないという恐怖

 昔のように一部の人しか情報を発信できないという状況は、思えばすごく危険であり、問題が多い。

 

 というのも、マスコミや新聞記者などが間違ったこと・偏ったことを言っていても、普通の人がそれに対抗することはまずできないし、マスコミなんかよりそこらへんの賢いおじさんの方が遥かにまともなことを言っていたとしても、世間の人はそれを知るすべすらなく、マスコミのまともでない話しか聞くことができなかったのである。

 一般市民の素晴らしい意見や考えを得られないどころか、間違いや問題があってもそれを指摘するネットの存在がないし、ネットにおける大量の対抗言論がないため、多くの人が間違いや問題すら認識できないままマスコミ等の話を聞くしかない状態になるおそれがあったのである

 

 今でこそネットを通じて、「マスコミの言っていることは間違い」、「マスコミよりも良いことを言っているところがある」と容易にわかるが、かつてはそもそもマスコミに対抗できるほどの存在がなかったため、真実を探求することはなかなか難しかったのである。

(まあ情報が氾濫しすぎて、かえって真実がわからなくなってくることもままありますが。)

 

 それこそ、少し前にあった小保方氏の研究不正問題なんて、ネットではすぐ問題点が指摘され不正ではないかと言われていたが、早稲田出身者の多いマスコミはネットで問題が指摘されてからもしばらくの間賛美の声が多かった。

 今の時代だからこそ、割とすぐに問題が発覚し不正追及へと動いたが、昔であれば問題をネットですぐに指摘することなんてできないし、一般人が真相を知ることができたのは相当後になっていたのではないだろうか。

 ただでさえ、小保方氏の問題は、不正疑惑が発覚したり不正が明らかになったりした後でもまだ賛美者がいる闇の深い問題なのに、ネットの存在がなければ、もっと問題点を理解できなかったりマスコミの最初の報道に踊らされ続ける人が多かったかもしれない。

黄禹錫問題で韓国世論はクズだわと思ってましたが、まさか日本も同類だとは思ってもいませんでしたよ。本当。)

 

 

○今では一般市民の知恵、知識をフル活用できる

 今ではネットの存在により、様々な分野において一般市民が発信した情報を見ることができ、欲しい情報が手に入りやすくなっている。

 下記事でも述べたが、かつては入手が困難だった情報・成功談・失敗談・理論・考え・意見などが容易かつ大量に入手しやすくなったのである。

yamifuka.hatenablog.com

 

 一般市民でも特殊な地位や経歴がないだけで、特定の分野における能力や知識量においては、偉人や大きな社会的成功をおさめた人と同等以上のものを持っている人もいるし、そういう人たちが自由な立場自由な視点から意見や情報を発信できるわけである。スポンサーへの配慮や新聞社の方針などで本当のことを書けないということもないのだ。

 当然、頼りになる情報は昔と比べ物にならないぐらい増える。

 

 ある程度信ぴょう性があるだろう情報を大量に頼りにすることができるようになったのだから、今の時代は様々な分野でより真実に近づいた答えを見つけやすくなっただろう。

 多くの人が本を読めるようになったとして、グーテンベルク活版印刷術は人類史上の中でも大きな発明と言われるが、多くの人が普通の人の意見や考えを読めるようになったというのも、語られないだけでは実は人類史上の中でもかなりの大転換ではないだろうか。

 なにせ様々な分野において、多くの人が合理的な思考をし、合理的な選択をすることが期待しやすくなったのだから。



○しかもお金はあまりかからない

 昔でも本や雑誌を買うことで様々な情報を手に入れることができたし、一般市民以外が語ることであれば、なんだかんだである程度の情報は手に入れられた。

 しかし、今では無料で大量の情報を読み、吸収することができる。一部は有料の情報もあるが、それでもそこまでお金がかかるわけではない。

 

 例えば、夕飯のレシピを考えるにしても、今では料理本を買わなくても多くのレシピを目にすることができる。どこに旅行しようかと情報を集めたり、旅行先の情報を集めたりしようと思っても、別に本を買わなくても十分情報を集められる。

 

 似たようなことはあらゆる分野であるだろう。さすがに法律について詳しく勉強する場合など専門色の強いことをすると、ある程度本を買わないといけないが、そこまで専門色が強くなければほとんどお金をかけずに良い情報を集められる。

 素晴らしい意見や欲しい情報が手に入りやすくなっただけでなく、無料や安価でそれらが入手しやすくなったのである。

 

 

 ついでに言うと、情報を発信した人に質問をすることも可能でより活きた情報が入りやすくなったし、情報が伝わるスピードまで違うし、今は情報発信・情報吸収という点で有史史上最高の時代なのかもしれない。

 (今の時代の基準で物事を語れば、むしろ一部の人やマスコミしか情報発信がまともにできず、限られた意見や情報の中で社会的生活を送らなればいけないかった時代こそがろくでもないのだが。)

 

 もしかしたら、先進国に関してはようやく人類がまともな社会を築き始めたのかもしれない。

 日本の報道の自由は世界72位(2016年)と情けないことになっているが、マスメディアが落ちぶれたとしてもネットが元気であれば何とかなるのではないかと期待させる。

 

 

 とはいえ、皆さんもご存じのとおり、ネットはネットで問題も多いので、賛美ばかりしていられないのですがね。

yamifuka.hatenablog.com