語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

アフリカの子ども達に比べれば云々が心に響かない理由

 世界の多くの国と違い日本はGDPが20年前と比べて全然伸びておらず、他国との経済的に豊かさの差異がかなり縮まったので、以前ほどは言われなくなりましたが、今でも「アフリカの子ども達に比べれば日本人は贅沢(だから文句言うな)」といった趣旨の発言をする人がたまにいます。

 

 中にはこの手の発言を聞いて、「確かにその通りだ」、「自分は恵まれてる。幸せなんだ。文句を言っちゃいけないな」と思った人もいるかもしれませんが、もやもやした気持ちを抱いた人は少なくないと思います。

 むしろ私のように自殺しようか悩んでいるような不幸な人を中心に「何言ってるねん。アホちゃうん。」と思っている人もいるでしょう。

 

 何故、アフリカの子ども云々の話がすんなり受け入れられないのか、心にイマイチ響かないのか考えたことを書きたいと思います。

 

 

1.日本で恵まれない人はいる

 さすがに日本では餓死こそほとんどありませんが、食べるものに困っている人や、栄養をちゃんと取れていない人、良いものは食べられていない人は別に少なくないでしょう。

 それこそ給食費すら支払えないという家庭も少数ながらありますし、お金がないから一日一食で栄養もあまりとれていない程度の人なら私の周りにすらいます。

 

 それにとても家で勉強ができるような家庭環境でない人もいるでしょうし、犯罪がありふれている環境で育った人だって当然います。

 命まではなかなか奪われずともいじめや嫌がらせはありますし、教育環境に問題がある人や、身体の安全が保障されていない環境にいる人は珍しくないでしょう。

 むしろ公立中学を見れば、教育環境も安全にも問題を抱えている人がそこそこいるのではないでしょうか。

 

 確かに餓死するレベルではないですし、なかなか死にはしないレベルではあるので、アフリカの中でも特にひどい環境にあるソマリアなどに比べればさすがにマシでしょう。しかし、日本でもたいがいな酷い環境にある人はいるわけです。

 南アフリカ富裕層なんて日本の貧困層より良い生活をしているでしょうし、アフリカの子どもが貧困で不幸、日本はそうじゃないとは一概に言い切れないのです。

 

 

2.幸せは経済的豊かさや食、安全だけでは測れない

 1で言っているように日本でも貧困はありますが、やはり食と安全の点では優位さがありますし、経済的な豊かさを見ても平均値は日本がほとんどのアフリカ諸国よりかなり上です。

 とはいえ、幸福は別に経済的豊かさや食、安全だけで決まるわけではなく、様々な要素を総合考慮して決まります。

 

 例えば、健康、障がいの有無、見た目の美しさ、家庭の円満さ、知能、身体能力、結婚できるか否か、子どもをもてるか否か、所得の多さ、労働のきつさ、休みの多さなどの要素が幸福には大きくかかわるでしょう。

 

 極端な話、末期がんで地獄の苦しみを味わっている人にとっては「何がアフリカの子どもが不幸やねん。今の自分の方が苦しいわ!」という話ですし、そこまでは行かなくても程度の差があるだけで不幸な人は少なくないと思います。

 人はどうしても目に見える要素だけで幸せかどうか、豊かかどうかを判断するので、好き放題他人におかしなことを言いますが、生き地獄という言葉もありますし、死ぬほど苦しんでいてアフリカの子どもより不幸な人だって中に入るでしょう。

 そうでなければ、日本で年間2万5千人も自殺者は出ていないと思います。

 

 こう言ったら一部の人からひんしゅくを買うかもしれませんが、私は日本で重度の知的障害者になるぐらいなら、アフリカでサバイバルをしたほうが遥かにマシだと思っています。

 それに「ドブスに生まれるなら長く生きられなくても美人に生まれたい」という人だって珍しくないでしょう。アフリカの美人の方が幸せかもしれませんよ。

 また、むこうの人たちからしても日本人のことを聞いて、「結婚もできず、子どもももてないなんてかわいそう」、「毎日10何時間も働いて不幸だろう」と思っているかもしれません。

 

 

3.日本に住む以上比較対象は当然日本及び先進国

 人は自分の育ち住んでいる環境をベースとして物事を考え、幸せ・不幸を感じるものなので、日本に住む以上は日本や先進国の人々が比較対象となります。

 

 普段生活をしていると、地理的にも心理的にも遠いアフリカの人たちはそもそも頭にないことが多いです。せいぜいスポーツなんかでやっぱり「アフリカ勢は凄いなあ」と思うぐらいで、アフリカの人たちの普段の生活の様子を目にしたり考えたりすることはほとんどありません。

 

 自分とは遠く離れたおとぎ話のようなことを聞かされたところで、「あっそう」と思うのが自然ではないでしょうか。

 

 

4.不幸比較したところで、不幸なまま

 人を見下して悦に入る人も世の中には少なくありませんが、自分より不幸な人を見たところで別に自分が不幸である状況に変わりはないですし、せいぜい気分が少しマシになる程度ではないでしょうか。

 

 容姿に悩んでいる人に「あなたよりブスがいるから、あなたは幸せだ」と言っても、「何言ってるのこの人」と思われるのと同じように、その人より不幸な人の存在を指摘したところで別に心に響かないでしょう。

 だいたい人は自分より恵まれている人に目が行くものです。自分が傍から見ればまだ恵まれていようが、知ったこっちゃありません。

 

 

5.そもそもアフリカで一括りにするガバガバさに嫌気がさす

 アフリカと言っても現在では56国あります(たぶん)。

 さらに、同じ国であっても地域によって経済格差や治安が大違いなので、一言にアフリカと言ってもあまりに条件が違いすぎます。

 一体アフリカのどの国のどの地域の人のことを指しているんだと突っ込まざるを得ません。

 

 ちなみに、アフリカの中でも特に発展している南アフリカと、紛争で国が疲弊しきっているソマリアでは一人当たりGDPが50倍も違います。そこまで行かなくても国によって10倍単位で違いが出てくるものです。

 治安の面で見ても、イスラム過激派が占領していたり、ソマリアのような紛争が起きていたりする地域もありますが、そこそこ安全な国、地域もあります。

 そのため、アフリカでひとくくりにするのは暴挙に近いのです。それこそアフリカの子ども云々ということは、日本人に対して「アジアの人」と言い出すぐらいにガバガバなことを言っていると思われても仕方がないでしょう。

 

 それに、日本ではアフリカの各国の情報はあまり入ってこないため、アフリカの子どもが云々という人のアフリカのイメージがいつの時代のものかさっぱりわかりません。

 下手すると20年30年前のイメージでものを言ってるんじゃないかと思う人も中にはいます。

 

 人に何か伝えたいことがあるのであれば、せめてもう少しガバガバでないことを言わないと心に響かないでしょう。

 

 

 だいたいこんな理由でどうも心に響かないのではないかと思われます。

 「経済的に恵まれているから幸せだろ。文句言うな」というのはあまりに短絡的な考えですし、アフリカの子ども達云々と言う人に対しては(安直な発言をしていることをわからせる)皮肉で「身体上の性別と精神上の性別が一致しているならそれだけで幸せだろ」ぐらい言ってやろうかと思ってましたが、私もアダルトチルドレンなので聞く振りして聞き流すことに終始しましたね。昔から内心はだいたい上みたいなことを考えていましたが。

 しかし、人はパンのみを食うにあらずという言葉を忘れたのかと突っ込みたくなる限りです。○○があるから幸せ、○○でないから不幸とは限らないのです。

 

 あとどうでもいいことですが、アフリカの子ども云々という人は、乙武さんの「障がいは不便であるが不幸ではない」という言葉もまともに受け止めてないのではないかと思えてなりません。アフリカの子ども=不幸という同じ考えで、身体障がい=不幸と短絡的に思っているんじゃないかと感じます。