語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

失敗者が語ることの意味 失敗談・不合格体験記の価値

 世の中には何かに成功した者がいれば、当然その陰で失敗した者もいます。

 しかし、世間で話題になるのは上手くいった人のことばかりであり、上手くいかなかったというような人は話題になりません。

 甲子園で負ければ話題になりますが、それは彼らが県で優勝したりして甲子園まで出場できた意味では勝者だからです。ほとんどの失敗者は表舞台に上がらないのです。

 

 それに、「自分の成功を語りたい」、「どうやって成功したのか語りたい」という人はいっぱいいますが、自分の失敗を語りたいという傷口に自ら塩を塗り込むようなことをするドMな人はまずいません。

 多くの失敗者は、「もう忘れたい」、「ひっそりと生きたい」、「ただでさえ失敗をして辛いのにさらに失敗をさらけ出して笑われるなんてどうかしている」と思い、声をあげることがないのが普通でしょう。大量にいる司法試験撤退者の話が聞かれないのもこれが理由です。

 

 

 しかし、苦労を重ねに重ねた失敗者だからこそ語れることというのもあるはずです。

 何故、自分は上手くいかなかったのか、こうすると上手くいかないのではないか、全体の結果はダメだったけどこの部分は上手くいったということを成功者以上に語れる人もいるでしょう。

 失敗の要因を分析し教訓を生み出すことは、失敗の数を減らし失敗の可能性を下げることになるため、結局は成功の可能性を上げることにつながります。

 

 

 それに成功者の語ることは自慢話が多いですし、話が盛られていることも多いです。

 また、「こんなの天才にしかできませんやん」、「いやいや普通この方法は上手くいかへんよ」(何故かなまっているのは気にしないでください)といった話や理論も少なくありません。

 それに対して、失敗者はもはや失敗という事実だけで恥なわけで、もはや見栄を切る必要もないので、赤裸々に物事を語れるところがあります。盛られていない真実の話をしやすいのです。

 そして、失敗者は特別な才能がなかった人が多いでしょうし、特に素質の優れた人にしか通用しない話で人々を惑わす危険も少ないのです。

 

 

 そもそも歴史を見れば人類は失敗ばかりしていて、その失敗を糧としてなんだかんだで進歩を進めています。

 航空機が世界一安全な乗り物になったのも、数々のヒューマンエラーを分析し、自社以外も含めて過去のシビアアクシデントで得られた反省・教訓を活かしたのが理由です。

 だいたい失敗者がする失敗は他の人もする可能性の高いことですし、あえて失敗を語り、「他山の石」となることで多くの後輩たちの失敗を防ぐことが期待できます。反面教師という言葉もありますし、失敗は成功の母という言葉もあります。

 失敗者の年齢や性別は知りませんが、失敗者が多くの人の教師となり母となれば多大な社会的利益を生み出すことになるのではないでしょうか。

 

 

 私自身、いろんな人の体験談や話は聞きますが、成功例と同じか下手するとそれ以上に失敗談、不合格体験記が参考になっており、それらが数は少ないものの成功の糧になったと実感しています。

 励まされ、勇気づけられ、受験とかいう狭い世界を超えた生きるヒントや希望までもらったんじゃないかと思うことすらあります(さすがに最後のは話盛ったかな)

 

 嘲笑され馬鹿にされるおそれがあるのに、勇気をもって後輩たちのために失敗の話をした偉大な先輩達に並べるよう、私も(闇を全面に出しつつですが)失敗についてしっかり語ろうと思います。