語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

「無事之名馬」はもっと様々な分野で意識されるべきだと思う

 「無事之名馬」という言葉が競馬界にはありますが、この考えはとんでもなく重要ですし、スポーツとかに限らずもっと意識されるべきだとよく思うので、今回はその話をしたいと思います。

 

 

○無事之名馬とは?

 文字だけ見ると漢文の話なのかと思いますが、菊池寛が言い始めた言葉らしく、「能力が多少劣っていても、怪我なく無事に走り続ける馬は名馬である」という意味で使われます。

 転じて、野球などのスポーツにおいて、「超一流とまでは言えなくてもずっと怪我せずにプレーし続ける選手は名選手」という意味で使われることがあります。

 

 

○無事でい続けることは本当に大事

 1年5勝分の活躍をする選手が2年で壊れてその後不良債権化するより、1年2勝分の活躍をする選手が10年頑張ってくれる方がトータルのチームにもたらす利益は大きいわけです。

 実力がちょっと劣っていたとしても長年離脱せずにいれば、それだけ組織にとってすごくありがたい存在になるのです。

 

 それに怪我で離脱してしまうと、組織は代わりの人材を用意しないといけないわけですが、代わりの人材を見つけ出し育成し試すのにも労力と費用がいりますし、代替に成功する保障もありません。無理に実力不足の若手を試したり、謎の外国人選手を獲ってきて失敗したりするおそれも強いのです。

 スポーツの世界を見ていると、世代交代に上手くいかないことなどままありますし、色々若手を試してみたけど迷走する一方というパターンも多々あります。

 そのため、戦力の計算ができる怪我しないレギュラーの選手というのはそれだけで大きな価値があるのです。

 

 

○仕事などでも大事

 ブラック企業の経営者なら「代わりはいくらでもいる」とか言いそうですが、普通は労働者一人とってみても育成にはすごく時間と労力がかかります。

 労働者が離脱してしまうと代わりの人材を雇ってまた教育し会社のこと・仕事内容を理解させなければならなくなったり、他の労働者にしわ寄せが行って負担が増えたりするわけです。他の離脱者が増えるおそれまであるわけです。

 また、とんでもなく良いパフォーマンスをしていたものの過労で倒れすぐ退職してしまった人よりも、そこまで劇的なパフォーマンスはしていなくても着実に組織に貢献し続ける人の方が組織に与えた利益の総量はおそらく大きいでしょう。

 

 そういうことを考えると、長年問題なく頑張ってくれる人というのは組織にとってはやはりありがたい存在なのです。

 表だって褒められることはあまりないですが(勤続何十年かの節目や定年退職するときぐらいでしょう)、組織にとっては欠かせない存在なのです。

 

 

 また、難易度の高い目標を実現しようとする際にも、無事に努力し続けられることはすごく大事です。

 いくら素質や適性があっても十分な努力量をこなさなければ難易度の高い目標は達成できないわけですが、たいていの人はどこかで走らなくなったり、身体に異常をきしたり精神的に病んで走れなくなったりして目標実現まで努力をすることができないものですからね。

 多少素質や適性がなくて時間が少し多くかかったとしても、最後まで頑張り続けられる人こそが目標を達成できるでしょうし、無事であるというのはとんでもなく大事なのです。

 

 もしかしたら、良いパフォーマンスをする才能よりも、壊れない才能・壊れないための努力・工夫の方が大事なのかもしれません。

 私はよく「壊れない頭脳があれば1億円を出しても買った」とかある野球選手の名言をパクっていますが、健康を害した先人たちもこぞって「健康第一」と言うように、無事であることこぞがすごく大事なのです。

 実際スポーツの世界では才能がありながらもケガでダメになった選手が多いですし、名選手になるには丈夫さと言う才能、丈夫でいられる努力・工夫が必要不可欠なのです。

 

 

○ということで

 怪我をしていないときや病気になっていないときは、無事であることが当たり前と思うもので、いかにパフォーマンスを上げるかばかり考えるものだと思います。

 しかし、いかに健康を維持して物事に取り組み続けられることの重要性を忘れてはいけません。心身のケアをしっかりして、健康を害しないようにすることこそが「名馬」になれるために一番重要なことかもしれないわけですからね。