語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

苦労した人ほど報われてほしいと思う

 世の中では、どうしても大成功した人ばかりが注目されますし、若くして成功をつかんだ人がちやほやされる傾向が強いです。

 例えば、野球で言えば若くして球界のスター選手となった日本ハムの大谷選手やヤクルトの山田選手のような人ばかりが賞賛されるものです。

 

 それに対して、長い間苦労を重ねてようやく一軍で生き残れるようになったといった選手はどうしてもコアなファンの間でしか話題になりません。

 才能に溢れ不運も少なくすぐさま大成功を収めてしまった選手と比べると、注目されることはあまりないですし、「もっと若手使えよ」、「もっとルーキーを試すべき」と言われてしまうのがオチなこともままあります。

 

 就職でも似たような状況で、様々な苦労した経験を積み様々な知見を得た既卒者よりも、若いという武器があるだけの新卒者が高く評価されることなどよくあることです。

 資格試験でも、合格時の年齢が若ければ若いほど高く評価され、長年の苦労の末ようやく成功を手にしたというような人は高齢を理由に色々扱いが悪くなるものです。現代社会では「素質のない奴」と切り捨てられやすく、就職も不利になちがちです。

 

 

 しかし、考えても見てください。

 長い間必死に頑張っても結果を出せないというのは本当に苦しく、しんどく、心が折れるものです。

 

 自分を心の底から情けないと思い、自分自身に失望し、殺したいほど自分が嫌いになった。

 運命を恨み、成功した他人を狂いそうになるほど妬み、そして何より他でもない自分を憎んだ。 

 未来が見えず、希望をもてず、「このまま終わってしまうのか」という恐怖に怯えた。「このまま終わりたくない」と悔しさに涙した。

 自分を長年育ててくれた両親、自分の背中を力強く推してくれた恩師や仲間、そして自分に多くの期待をしてくれた人々の思いにこたえることができないまま月日ばかりが経ち、無念の思いは膨らむ一方だった。

 

 そんな精神が壊れそうになる思いをしながらも自分を信じ続け、些細な成功さえ掴める保障もない中なおも目標を目指し自分の信念を貫いて頑張り続けるというのは、なかなか常人にはできないことです。

 成功の保障があれば人は頑張れるものですし、物事がすんなり上手くいっているときは楽しく物事にとりかかれるものですが、上手くいかない状態がずっと続くとたいていの人は物事を投げ出し諦めてしまうものです。

 

 

 普通は心が折れるのになおも頑張り続け成功をつかんだ人というのは、その物事における才能や素質、資質、適性自体はたいしたことがないかもしれません。

 しかし、苦しい時期に様々なことを悩み・考え抜いた経験、苦しみを存分に知ったことで同苦しみを背負う人の気持ちを理解することができる共感性、逆境をはねのけた精神力などを見ると、人間としての魅力は十分にある可能性が高いのではないでしょうか。

 

 そういう人たちの方が、仕事のありがたみを存分に理解しているので熱心に物事に取り組むのではないかと思われますし、苦しみを理解しているので苦しんでいる人に優しく、苦しむ人を助けることができるのではないでしょうか。

 厳しい現実に押しつぶされそうになった彼らだからこそできることも少なからずあるのではないでしょうか。

 

 

 勿論、すんなり成功をつかんだ人もそれはそれで素晴らしいですし、世の中には経験しなくてもいい苦労もあるのですが、苦労してもなお頑張り続けた人はもっと評価されていいと個人的には思います。

 そして、そういう人こそ報われてほしいと強く思います。

 まあ、そう行かないことも多いから、この世界はよくゴミと言われるんだけどね。