恥の文化に染まりきると息苦しい 心の中に関西人やブロガーを入れておこう
タイトルだけ見ると、「この人今年も司法試験落ちて、遂に頭がおかしくなったか」と思われそうですが、ちょっとセンスが神っているだけで私はまだ正常なのでご安心ください。
それはさておき、本題である「関西人やブロガーの価値観や考え方を取り入れると、人生は豊かになるかもしれない」という話をしたいと思います。
1.日本は恥の文化が根付きすぎているせいで生きにくい
ルーズ・ベネディクトが『菊と刀』を出版して70年が経ちますが、現在の日本社会でも「恥をかかないこと」の重要性は極めて高いです。※
就職活動に失敗したら、派遣社員になったら、失業して無職になったら、結婚できなかったら、離婚したら云々を言い始めるとキリがないですが、何かが上手くいかなかった人・やらかしてしまった人はすぐ恥ずべきものとして考えられがちな傾向があります。
失敗した本人も辱めをうけたくないばかりに誰にも相談をすることができず、一人苦しみを抱えがちになりますし、そういう人たちを見た多くの人たちが「失敗して恥をかきたくない」と言ってそもそも挑戦すること自体を諦め、無難な人生を送ろうとばかり考えがちです。
しかし、一つ何か失敗しただけで「恥のせいで普通には生きられなくなる」という価値観で暮らすのは非常に生きづらいです。
「失敗してしまったら生きるのが苦しみになる」と常に失敗をおそれて暮らさないといけませんし、まだ失敗していなくても今後の失敗を恐れ続けることになります。ましてや失敗してしまえば、恥に怯え続けることになります。何て恐ろしい世界でしょうか。
それに能力があるのに恥を恐れて挑戦しないことが増え、個人にとって大きな損害を生む恐れもあります。一度キリの人生と言うのに、せっかくの可能性を潰す可能性もあるのです。
上のようなことを考えたら、恥を極度に恐れる文化というのも考え物です。
そのような文化に染まりきってしまうのは非常に苦しいでしょう
2.関西の笑いの文化を取り入れよう
恥の文化に染まりきってしまうと、とにかく失敗を恐れますし、失敗してしまうと辛い思いをすることになります。
そんな恐怖に怯え、辛く苦しい思いをする羽目になるぐらいなら、いっそのこと恥の文化という日本全体のローカルルールなど軽視してしまえばよいのではないでしょうか。
その点、関西には笑いを取れる人を尊敬し、笑いに重きを置く文化があります。
それこそ、人前でやらかして恥ずかしい思いをする場合であっても、本人や周りからすると「笑いを取れたからOK」、「よっしゃ。笑いとれたやん。おいしいやん」と思うような文化があります。
失敗しても笑いでごまかせるところがありますし、恥ずかしい思いをしても、辛く苦しい思いではなく笑いに昇華できてしまうところがあるのです。
人前でスピーチをする際に思い切り噛んでしまうなどやらかした場合を考えみましょう。ただ恥ずかしく辛いと思うのと、「恥ずかしいけど、笑いも取れたからまあええや」と思うのでは、心に負うダメージの量が違うはずです。
恥を笑いに昇華してしまって、恥をそれほど悪しきものと思わなければ、失敗もそこまで怖くなくなりますし、いざ失敗したときに受けるダメージも軽減されます。
生まれや育ちが関西でない人も、心の中に関西人をおいとけば息苦しい思いが軽減されるのではないでしょうか。
3.ブロガーの思考を取り入れよう
ブロガーというのはとにかくネタがあれば記事にしたがる習性がありますし、恥の文化からするとただ辛く苦しい思いをした場合でも、記事のネタとして昇華できてしまうところがあります。
例えば、アルバイトでばっちり上はスーツで決めてきたのに、うっかり普通の運動靴を履いてきてしまって大恥かいたという話も、恥の文化からすればただ恥ずかしく苦しい思いになりかねませんが、ブロガーからすれば格好のネタです(私の経験談なのは内緒)。
ただ単に笑いのネタとして使うこともできますし、「うっかりミスを防ぐための○○の思考」みたいなライフハックネタの冒頭の文章でネタとして使うこともできます。
それに受験に落ちた、就職失敗した、失業した、離婚したみたいなただ恥ずかしく辛いと思われる話でも、「後輩たちよ。これには気を付けろ」、「こんなタイプの人は失敗するから注意したほうがいい」という格好の教材に昇華させ、人々の社会的に利益の増大に貢献することもできるのです。
ただ恥ずかしい思いをするのと、「恥ずかしいけど他人のためになるからええや」、「面白いネタ投入して、アフィリエイトで稼げるからええや」みたいに思えるのではこれまたダメージが違います。
ブログは読む専で書かないという方、フェイスブックなどで実名でまともなコメントしかしていないという方であっても、なんでもネタにしてしまうブロガーの精神を取り入れると息苦さが減るのではないでしょうか。
4.さいごに
よく考えれば人生なんて失敗だらけですし、プロ野球選手みたいな凄い人だって幾多もの恥ずかしいミスをやらかし、幾多もの情けない凡退を繰り返してきて今があるのです。いちいちしょうもない失敗で恥辱を与えられたと思ってたらやっていけません。
それに「恥は悪」、「恥ずかしい思いをするぐらいなら死んだ方がいい」みたいな恥の文化に染まりきった考えばかりしてしまうと、大きな失敗を一つしただけでやれ自殺だという話になってしまいます。
また、そんな考えの人ばかりでは、「こんな自分が結婚し子どもを持つ資格なんてない」、「こんな生きづらい社会に子どもを産み落としたくない」と考える人が増え、社会の持続可能性がなくなってしまうおそれも十分にあります。
ですので、私たち日本人は、もっと恥を恥とも思わず、(一部の)関西人やブロガーのように「くっそ。ネタにしてやる!」ぐらいの心意気をもって、図太く生きていくべきではないでしょうか。
それぐらいの精神で生きたほうが個々人の人生は明るくなりますし、社会全体ももっとマシな空気になるのではないでしょうか。
※同著書における「恥の文化」には、「悪行が明らかになるなどの恥をかかないのであれば何をしてもいいという観念がある」といった意味もありますが、ここではそのことは置いときます。
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