過半数の賛成で物事を決めるのは乱暴すぎないか 多数決も濫用してはならない
現代社会では、色々なことが過半数の賛成をもって決められます。
衆議院での再可決という例外を除けば法律の制定もそうですし、裁判員裁判絡みで例外はあるものの裁判もそうです。
国の趨勢を決めるような事態や、その人の人生を大きく変えてしまうような判断であっても過半数の賛成で物事が決まってしまっています。
しかし、冷静に考えると、過半数の賛成で物事を決める。特に重要な事項について決定を行うというのは、かなり乱暴で問題もあるのではないでしょうか。
そこで、多数決(過半数の賛成)を濫用するのはまずいのではないかと言う話をしたいと思います。
○最大で約半分も反対がいる、あまりに反対が多すぎるのに意見が反映されない
多数決が採用されますと、最大で約半数近くの反対者がいても、物事が決まってしまいます。
一度その物事が決まったら、反対者としてはどうすることもできないことがままありますし、約半分の人がいるにもかかわらず反対者の意見はまるで聞かれないこともままあります。
冷静に考えて、約半分もの人の意見がないがしろにされるおそれがあるというのは、かなりの暴挙ではないでしょうか。
日常生活でのどうでもいい出来事であれば、「もう少し話を詰めてから反対者を減らした上で物事を決めよう」と思うのが通常ですし、そうしないと不満たらたらの人が多くて物事が上手く進められないおそれが強いでしょう。
どうでもいい出来事以外でも、もっと反対者の意見を考慮し、もう一度議論してその後投票をやり直したりする方が良いのではないでしょうか。
○半分も反対するのはとんでもない状況である可能性がある
それに、表だって誰かに反対するというのは勇気のいることです。
可決されてもさほど問題ないことであれば、安易に賛成に入れる人が多いでしょう。
実際、普段の生活でも「どこに食べに行きたい」か聞いて大半の人が反対するような事態はあまり起きないでしょう。
それに、ニコ生のアンケートなどでもよほどのことがない限りリスナーは甘々の判定を下すので、「とてもよかった」が9割ほどになったりするものです。
そういう状況があるのに約半数もの反対があるというのは、それはもうかなり反対の意見が強いものだと思われます。
どこに食べに行きたいか聞いて約半数の人が反対するということは、よほどひどいチョイスやセンスのない提案をしている可能性が高いですし、ニコ生で「とてもよかった」が5割ほどしかないということは、よほどひどい事態で炎上レベルなのです。5割超「とてもよかった」があっても、実際には全くよくないのです。
「とりあえず適当に賛成したのが51%、何が何でもこれはまずいと思って断固とした意志で反対したのが49%」というのが実態である可能性がありますし、本当に可決してしまってよいのかと疑問符が付く状況があるのではないでしょうか。
過半数が賛成していても、実際には問題だらけで可決するのはまずいという状況もあるということを頭に入れておかないとまずいでしょう。数値だけを見ていてはいけないのです。
○きまぐれや偶然で結果は変わる
賛成と反対の数が拮抗している場合、わずかな差で過半数の賛成が得られることがあります。
この場合、私立大学受験でもう一度試験をやり直したら半数合格者が入れ替わる理論と同様、僅かな差しかないのであればまた投票をしたら結果が変わる可能性も十分にあるでしょう。
というのも、賛成か反対か決めかねている人が、周りに賛成者が多くて賛成意見をよく耳にしていたから賛成したとか、反対者に頭がおかしい人がいるのを見たとかいったふとしたきっかけで賛成に投票することもあるからです。
きまぐれや偶然で誰がどちらに投票するかは割と変わるため、わずかな差程度であれば逆転もありえます。
それなのに、過半数の賛成があったとして、とんでもない権力を握れることになるのは問題があるのではないでしょうか。
たまたま過半数を取れただけの可能性もあるのに、その事実は一切考慮されることなく、過半数の賛成があったという事実ばかりが強調されてよいのでしょうか。
○過半数程度では、合理性が怪しい場合もある
人の知能はたかが知れているため、高度な判断を下す能力には限界があります。
人類史上を見ていても、昨今のフィリピンや米国を見ていてもそうですが、ポピュリズムにすぐ人類は流されますし、その結果非合理な行動をとりがちです。
そんな大げさな話をするまでもなく、人はまともに考えずに気分や好き嫌いで物事を決めることも多く、合理的でない決定をしがちです。
それなのに、51%の愚者がいれば、過半数の賛成が取れてしまい重大な決定権をもててしまうというのは非常に危険なことです。
51%ぐらいなら愚者が生まれてしまうことは大いにあり得ることですし、過半数の賛成があったとしても合理的な判断ではない可能性も十分にあるのです。
突き詰めていうと、過半数でなく特別多数でも衆愚政治に陥るおそれはあるわけですが、それでも過半数で決めてしまうシステムに比べると、非合理な決定をするリスクはマシになるでしょう。
過半数ではさすがにリスクが高すぎではないでしょうか。
○まとめ
以上のことをまとめると、
・約半数もの意見が反映されないのはまずい
・そもそも約半分も反対があるのはかなり問題がある可能性がある
・たまたま過半数がとれてしまっただけかもしれない
・過半数の賛成者は愚者かもしれない
と言う問題があるわけです。
ただ、多くの反対があってもどっちかに決めなければいけないことが世の中には多いですし、過半数の賛成で物事を決めることになるのはやむを得ないことなのでしょう。
○過半数の賛成で決めるシステムの問題点を減らすべき
しかし、仕方がないと言っても、やはり問題点を無視するわけにはいきません。
急務の事項でなければ特別多数を取るまで投票やり直しにすることも考えられますし、できる限り3分の2や4分の3を超える賛成を必要とし、それが取れなければもう一度議論をじっくりしてみるようにすることが必要ではないでしょうか。
反対者がかなり少ないということは、それだけその組織に属する人にとって満足いきやすい結論であり、ひいては組織にとってより良い結論である可能性が高そうですし、反対者をできるだけ減らせるよう話を詰めていくべきではないでしょうか。
それに、物事を過半数で決めるしかないにしても、多くの反対があったという事実を意識して、反対意見を考慮し反映するべきです。
そうすることで、反対者としても一定の譲歩は引き出せたとして多少の満足のいくマシな結果となり、より多くの人が満足いく結果になる可能性があります。最大多数の最大幸福に資する結果となるかもしれないわけです。