語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

自分よりすごい人達が簡単に目に入りすぎる時代

 インターネットが普及して久しい現在、ネットの浸透により人や社会は大きく変わりましたが、その中でもすごい人たちを簡単に目にしてしまうことについて少し語りたいと思います。

 

 

○すごい人たちを簡単に目にできるようになった

 インターネットがあまり普及していないころは、自分と遠く離れた場所に住む人たちの姿を目にすることはあまりなく、狭いコミュニティーの中でしか他人を見ることができませんでした。

 そのため、バリバリのキャリアを持つ人のありがたいお話を聞きたければ講演会のためわざわざ遠くまで行かないといけなかったり、セレブの生活ぶりを見るには自分もそれに近い存在になって交流を持たないといけなかったりしました。

 

 それに、上の例で挙げたような人たちは自分が然るべき場所、然るべき地位にいれば見ることができましたが、自分がどう行動しても上手く会えるわけではないパターンもありました。

 例えば、アマチュアでとんでもなく歌が上手かったり、絵が上手かったり、ゲームが上手かったりする人に出会うには、たまたまそういう人の集まる場所で育ったり生活していたりしていたかが重要であり、運要素が非常に大きくそういう人たちに会えずじまいで終わる人たちも多々いました。

 私も身近にぷよぷよが超絶上手い人がいませんでしたが、いれば練習と経験を積んで自分ももっと上手くなれたのにとつくづく思います。

 

 しかし、今では難関試験を超上位で合格した人、とんでもなくすごいキャリアを持った人、とんでもなセレブ、めちゃくちゃ歌が上手い人、絵が上手い人、ゲームで屈指の腕を持つ人の様子を簡単に目にすることができますし、自分が目にしようと思えば簡単にすごい人たちを目にすることができるようになりました。

 インターネットの存在で、いろんな分野で凄い人たちを簡単に目にすることができるようになったのです。

 

 

○しかも距離がすごく近くなった

 さらにインターネットでは、ブログのコメントやツイッターでの返信などを使うことで、直接その人にメッセージを与えることもできますし、相互にやり取りをすることが容易になったこともあって、すごい人たちと普通の人の距離が非常に近くなりました。

 

 はてなだけ見ても、大企業でキャリアを積んだ人なんかは結構いますし、やたら良い文章や漫画を書くことができて書籍まで出版してしまってるような人もいますが、そういう人たちともやり取りをしようと思えばできますし(相手が無視することもあるでしょうが)、インターネットがあまり普及してなかったころとは距離感が全く違うものになりました。

 

 要するに、色んな分野のすごい人たちが、より身近な存在として目に入るようになったのです。

 

 

○しかし、あまりにも簡単に目に入りすぎてしまうことで問題も

 私たちは自分より凄い人を目にすることで、刺激を受けたり感銘を受けたりし、その人が取った方法論や技術を参考にして、自分の人格や能力を高めることができます。そこまで大それたことでなくても、日々の楽しみは増えるでしょうし、おそらくQOLは上がるでしょう。

 そのため、すごい人が簡単に目に入る。いや入りすぎるようになったのは基本的には良いことが多いでしょう。

 

 しかし、世の中では、どうしてもすごい人ばかりにスポットライトが当たってしまうため、凄い人たちばかりが注目されがちです。

 そこまですごくない人たちにとっては、自分もなかなか上手い絵を描いていたり、上手い文章を書いていたり、上手く歌を歌っていたりしても、自分以上の存在がいるせいで自分がかすんでしまうのです。

 昔であれば狭い世界で、「地元じゃ負け知らず」になって、周囲の人に称賛され自尊心を持てていたにもかかわらず、ネットの存在で多くの人が凄い人たちを見ることができるようになった結果、称賛は思ったほどもらえず自尊心も満たせなくなってしまったのです。

 

 それに、すごい人たちが目立ってしまうと、どうしてもスタンダードがそのレベルだと錯覚してしまいがちであり、人々のものを見る基準が厳しくなり、要求水準が高くなります。

 かつてであれば普通に上手いと言われていたものでも、下手くそと言われることが増えますし、高いレベルについていくのに苦労する羽目になりがちです。

 漫画やゲームやアニメや個人が上げる動画などで顕著ですが、クリエイターは、レベルの高いものを簡単かつ大量に目にすることができるようになり要求水準が上がりに上がった視聴者を相手にしなければならず、非常に労力がかかるようになりました。

 それなのに、要求水準が上がっていて他のすごい人たちが簡単に目に入るため、称賛・承認はなかなか得られないという恐ろしい事態が生じているのです。

 

 

○承認意欲の満足が難しくなった今、クリエイターやブロガーはどうすべきか

 現代社会では、凄い人たちが簡単に目に入りすぎるせいで、人々から称賛されたり、承認意欲を満たしたりすることが困難になってきているわけですが、この事態にクリエイターやブロガーはどうするべきなのでしょうか。

 

 一つは、承認意欲など考えずに好きで物事をやり続けることが考えられます。

 承認意欲を満たすのが困難になっても、そもそもの目的が自己満足であれば関係ありません。だいたい本当に好きなものは好きだからやっているのであって、誰かに認められればさらに嬉しいなる程度でしょう。

 特に絵を描いている人なんかだいたいこういうタイプが多いと思います。ただ絵を描くことが喜びであり、自分の人生を豊かにする。だから書く。そういう人が特に多いと思います。

 そんな感じで、人の評価など気にせず、同じ分野にいる他人のことなど目に入れず、物事をやるのが良いのではないでしょうか。

(私も自分の心の闇を文章にして解放しないと精神が崩壊するような人間ですし、書くことで自我を保ち、よりよく社会生活を送れるようになっている気がします。)

 

 もう一つは、自分がすごい人たちになることが考えられます。

 いくら物事のスタンダードの水準が上がったとしても、それについていける人であれば問題なく、多くの人から称賛を受けられるでしょう。

 かつてのように身内からしか評価されなかったことが、インターネットにより全国・全世界から称賛の声を受けることができるようになったわけですから、凄い人たちにとってはむしろ今の時代は承認意欲を満たしまくれる素晴らしい時代です。

(私もブロガーとしてすごい人の仲間入りをして、少しばかり儲けたいものですね。格ゲーやFPSの世界は到底無理ですわ。)

 

 もう一つは、見る専門になることが考えられます。

 やはり、頑張ってもあまり他人から認められないというのは辛いことですし、誰もが多くの人の心を震わせる文章を書いたり、歌を歌ったり、ゲームで凄いプレイをしたりすることはできません。

 それならいっそ他人から評価されないクリエイト活動はやめて、見る専門になるというのもありな選択肢だと思います。そうするほうが楽でしょうし、人生が豊かになる可能性が高いかもしれません。

 

 他にもニッチな分野に走りオンリーワンになるなどの選択肢がありますが、だいたいQOLを挙げようと思えばこんなところだと思います。

 

 

○まとめ

 徒然なるままに思うことを書き散らしてみましたが、

「凄い人たちが簡単に目に入りすぎる→人々の要求水準が上がる→クリエイター、頑張っても評価れない。クリエイター泣かせ」

 という事態がいろんな分野で進んでいる気がよくします。

 容姿だとか学歴だとか年収ですら、芸能人の影響のせいでそんな感じですね。どこかの芸能人へのバッシングではないですが、横浜国大が大したことないとかいう人はいくらなんでもネットに毒されすぎだと思います(これに関してはただ単に大学受験に無知なだけかな。)。

 

 特にYoutubeニコニコ動画なんかを見ていると、10年ほど前に比べて求められている水準が上がりすぎです。ボーカロイド楽曲なんて「PVはあって当然、調教も完璧にして当然」みたいな謎の風潮もありますし(いつからそんなにPVが重視されるようになったのか詳しくないのでわかりませんが)、あまりにいろんな分野で求められる水準が上がりすぎていて、そのせいでいろんな人が苦しみ、承認意欲を満たせない羽目になっている気が強くします。

 ブロガーもそうですが、ネットで何らかの活動をする人にとっては厄介な事態になったものです。