語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

現状に不満があっても、やみくもに変化を求めてはならない

 先日のオーストリアの大統領選挙では、リベラル派のファンデアベレン氏が勝利したものの極右政党との差は僅か3ポイントにすぎず、極右正当の台頭を許すという衝撃的な出来事が起こりました。


 イタリアでも、左派政党の首相が提唱した憲法改正案が否決され、内閣が解散される見込みとなりましたし、とにかく現状を打破しようと過激なものに惹かれがちな傾向が世界各地で広まってきています。

 

 

 しかし、現状にいくら不満があるといえども、現状を変えたらもっと酷くなる可能性があることを忘れてはなりません。

 というか、今までの人類の歴史を見ると、最悪と思われた時代の後にもっと酷いことになったケースは山ほどあります。やみくもに変化を求めるのは危険なのです。

 

 例えば、第1次世界大戦の後のドイツなんてまさにそうでしょう。

 177万人もの国民が死亡し、国土が荒廃し、巨額の賠償金が課せられ、ルール地方も奪われ、挙句の果てにハイパーインフレで経済は大混乱。人も金も国土も誇りも失った。

 おそらく「もうこれ以上酷くなるなんてありえないだろう」と当時のドイツの人々は強く思ったことでしょうが、実際にはわずか20年ほどでまたも世界大戦を引き起こし、もっと酷い事態に発展したわけです。

 

 遥か昔の2000年ほど前のことを考えても、ティベリウスの死亡でローマの人々は「これでまともな時代がやってくる」と歓喜したことでしょうが、その後、歴史マニアにとって悪名高いカリグラが登場するわけです。

 ティベリウスがあまりにも不評だったせいか最初期だけはマシという評価だったようですが、すぐに課税も処刑もやりたい放題のカオスな時代へと突入してしまいました。

 もう有史からずっと人類はこの調子なのです。こんなに酷い現状があるだろうかと思ったら、もっと酷い局面が来るなんて歴史上何度も繰り返してきたことなのです。

 

 

 わかりやすい例を2つ挙げましたが、そもそも現状を変えたらもっとひどくなったなんてことは国レベルのたいそうな話に限りません。日常にありふれています。

 例えば野球では、フォーム変えた結果、全く打てなくなったり、球速が出ずストライクも入らなくなったりして二軍でも行方不明になってしまったなんて人は別に珍しくありません。

 転職したら、独立したら、離婚したら、大学辞めたらもっと酷いことになったなんてあまりにもよく聞く話でしょう。

 


 当たり前のことではあるのですが、変化というのはリスクなのです(変わらないのもリスクではありますけどね)

 今が悪いとどうしても、「現状を変えたら少しは良くなるだろう」と都合のよいことをつい考えがちですが、残念ながらこの世界は優しくない世界であり、そうとは限りません。

 今が一番底と思ったらもっと底があったみたいなことが多々ありますし、今よりもっとひどくなる可能性だって十分にあるのです。

 

 国政レベルではもちろんのことですが、個人レベルでも人生に関わる大きな決断は慎重にしなければなりません。

 「今が最悪」、「これから先は上がるしかない」みたいなことを安易に口にする人は多いですが、それが真である保証など全くないのです。

 都合よくそう考えているだけかもしれませんし、本当にそう言い切れる具体的な論拠がどれだけあるかを考え直すべきです。

 

 

 今の時代は、「どうにでもなれ」、「ええいままよ」みたいな感じで投票をする人も少なくないでしょうし、「とにかく現状を変えなきゃ・現状を変えてくれ」と思う人が少なくないですが、常に今より酷い状況になる可能性を頭に入れて冷静に物事は判断しなければならないのではないでしょうか。

 

 私も上位ローの既習に落ちたときはまさに「今が最悪」だと思っていましたが、実際にはその後にもっと酷い大学院生活が待っていて公務員試験にも落ち続けるという悲惨な経験をしましたし、今が最悪とは限らないんですよ。おっと本題から話が逸れちゃった。