語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

仕事ができない高学歴の人間を貶めるのはおかしいのかもしれない

 高学歴の人間は、だいたい記憶力や集中力が優れているため、物事の理解が早く深い。

 それに勉強熱心な人が多く、努力家が多い。そしていかに努力すれば結果が出るのかの術も幾多もの試行錯誤を通じて熟知している。

 なので、基本的には高学歴の人間は仕事もできる人が多い。なんだかんだで現在でも大手企業で活躍している人を見ると高学歴の人間が多いのである。以前の記事↓で述べた通り、高学歴の人間は数としては希少なはずなのに、重要な組織の中枢部分に占める高学歴の割合はかなり高い。

yamifuka.hatenablog.com

 

 

 しかし、そうはいっても高学歴の人間も所詮人間である。

 高学歴といえども万能ではない。

 当然あらゆる分野、あらゆる職場で実力を発揮できるわけではないし、業務の適性や職場の適正などによって、どれだけ仕事ができるかは変わってくる。

 上司に恵まれず適切な指導を受けられなかったり、まるで本人に適性のない部署に回されてしまったりすれば、本来は高い能力があり仕事ができるはずの高学歴の人間でも仕事ができない人になってしまうおそれが十分にある。

 

 

 それに高学歴の人間の中には、コミュ力が絶望的な人がいれば、協調性のまるでない人もいる。人間性が終わっている人もいるし、本当に受験勉強しかできず他のことに応用を効かせることのできない残念な人もいる。

 よく考えたら、高学歴以外でもこの手の人はいっぱいいるし(むしろ高学歴以外の方がこういう問題を抱えた人は多い気がする)、高学歴の中でも会社員に向いていない、会社において仕事ができない人が一定割合存在するのは当然のことである。高学歴を礼賛ばかりするなという話だ。

 あなたのいた大学の教授を思い浮かべればこのことはよくお判りでしょう。優秀ではあるけども、会社員としては活躍できないなという人がある程度いるはずだ。

 


 以上のように、高学歴でも割合としては少ない方ではあるものの、仕事ができない人たちが一定割合で存在する。

 しかし、前者のタイプは、適切に指導をしない上司が悪い、適材適所を考えなかった会社が悪いところが大きいので、本来の能力を活かせていない高学歴の人間を貶めるのは責任転嫁な気がしてならない。

 

 高学歴の人間というのは、だいたい教えられたことはきちんとやるものだし、一度教えられたことはしっかり覚えていることが多い。そして一度した失敗をそう簡単に何度も繰り返さない。

 適性があまりない場合は、さすがの高学歴の人間も最初は大きく苦戦するが、それでも量をこなせばある程度は対応してくる。苦手なことでも頭を使って何とかやり抜く力を彼らはもっている。

 

 この手の高学歴の人間を貶める暇があったら、とにかく適切な指導をして経験を積ませるべきなのである。

 そうすれば、彼らは持ち前の努力と試行錯誤で、近いうちに対応してくるだろう。上手くいかないのは最初だけの可能性も高い。

 そう考えると、力を発揮しきれていない高学歴の人間を貶めるような発言をするのはおかしいのではないだろうか。高学歴の人間を使いこなせていない上司や会社こそ貶められるべきではないか。

 

 

 後者のタイプの人は、残念ながら前者の人たちと違って、環境を変えればきちんと対応してくるというのを期待できない。上司の指導力がないのが悪いという話ではないのだ。

 しかし、元をたどれば、ちゃんと能力を見極められずに採用したのが悪いのではないかという話だ。高学歴でも一定割合で仕事がまるでできない外れがいるのは明らかであり、その外れを引いた人事が悪いと考えられる。上司は人事を恨むべきなのでないか。

 会社からしたら「よくも騙したな」と思うかもしれないが、高学歴というラベルを安易に信用して勝手にだまされたのは、他でもない会社側である。勝手にだまされるような人事を雇っている会社側の自己責任ではないだろうか。

 そもそも面接なんて双方の騙しあいだし、労働者側も生きるのに必死だから、騙すことを批判すること自体どうかと思う。

 

 それに、後者のタイプの人たちは、元々会社で働くのに適さない気質を持っていただろうから、勉強してなかったら学歴すらない人になっていたわけである。勉強以外のことに力入れていれば、仕事ができる人になっていたという可能性は残念ながら低いのではないだろうか。

 元々努力しても仕事があまりできなかっただろう人が、努力して学歴だけは手に入れたことでニートにならずに済んだのである。努力したからこそ会社員となり、持ち前の頭脳により多少は社会や会社に利益をもたらす可能性を生み出したわけである(本当に1ミリも仕事ができない人はそうではないが)。

 

 そう考えると、彼らに対し、「勉強はできても仕事ができないようじゃ…」云々と言うのではなく、むしろ学歴を手に入れる努力をして国に迷惑をかけなかったこと・身に着けた学力を利用して会社に多少は利益をもたらす可能性を生み出したことを称賛すべきではないだろうか。

 高学歴というだけで、自動的に努力して仕事ができるようになる人であると考える人は多いが、それが本当かはかなり怪しい。後者のタイプの人というのは、努力したからまだマシになっている人というのが実態ではないだろうか。

 私としてはどうしても、もともとはダメダメだった人がダメ程度になったのであって、できる人がダメになったわけではないので、貶めても仕方ないのではないかと思ってしまう。