語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

産業革命以降の課題を人類はいまだに克服できていない

 産業革命は様々な面で人々の暮らしを豊かにしたが、同時に良くない方向に社会構造を変革させた。

 労働者を使用する資本家が台頭し勢力を強め、一方で農民から賃金労働者になる者は増えたわけだが、資本家と労働者の立場は対等ではなく当然資本家の方が強いため、資本家による労働者の酷使が問題となったのである。

 

 当時は、現在のように法整備が整っていなかったため、労働者はろくに休憩時間をとることもできずに長時間労働を強いられるようになった。

 長時間における過酷な労働を強いられた労働者の生活水準は低く、鉱山や工場における児童労働などの問題も深刻だった。

 

 「これではいかん!」ということで、工場府が制定・改正され、徐々に労働時間の上限が低くなり、一定年齢未満の者の就労が禁止されたり、女性の労働が制限されたりすることとなった(詳しいことは↓をご覧ください)。

工場法 - Wikipedia

 

 

 大英帝国に遅れること約1世紀、日本では明治維新以後、急激に各種産業が発展し、19世紀の終盤から労働問題が深刻化した。

 産業界の反対もあり、法整備はなかなか進まなかったが、ようやく1916年になって工場法が施行されるに至った。

工場法 (日本) - Wikipedia

 

 その後も、時間はかかったものの様々な労働関係の法整備が進み、現在の状況と百年前から百何十年の状況を比べると、労働問題はだいぶマシになったといえるでしょう。

 

 

 しかし、現在でも日本では労働問題が深刻な問題として随所で話題となっています。

 多くの人が問題だと分かっているのに、それをなかなか変えられない。いまだに使用者による横暴が多くの場面で許されているというのが実情です。

 

 日本において、百年以上も前から問題視されていたのに、なぜいまだに健康を害し命を削る働き方が続いているのでしょうか。

 百年以上も何故同じ過ちを繰り返し続けていて、いまだに問題は山積みです。

 幾分かましになったものの、百年以上もこの調子が続いているとか個人的には人類はここまで愚かで無力なのかとも思ってしまいます(話のスケール広げすぎた)。

 

 

 使用者としては、労働者の寿命が削れようがどうでもいい。逆に、労働災害によって死んだり病気になったりしないのであれば、思い切りこき使う方が利益を上げられる。

 労働者としては、使用者のご機嫌を取って、言う通りに働かないと思うように稼げないから、使用者の言いなりになりやすい。

 好景気のとき以外は、そういう関係が使用者と労働者の間にはあるのです。使用者はほっとくと横暴の限りを尽くすおそれが強いのです。

 

 そのため、法的規制により使用者の横暴を防がないといけないわけですが、今日の日本では労働法が当然のように守られていないのが現状です。法治国家なのか疑いたくなりますね。これでは中国を笑えない。

 さらに、よほどの酷い案件でない限り労基は動かない。未払い賃金も額が少なければ訴訟にしがたいので泣き寝入りするしかない。法律はあっても重大事件以外はなかなか機能しないという状況があるのです。

 

 結局今も、労働者の犠牲の下、この社会は動いているところは大きいです。
 産業革命以降、労働者の健康声明をどう守るか、どうしたら使用者の横暴を防げるのかというのがずっと問題になってきたのに、21世紀も15年たった現在、労働環境はいまだに問題だらけなのです。

 私たちはいつになったら産業革命以後の労働問題を克服できるのでしょうか。いい加減人類は賢くなってほしいものです。 

 

 

 ただ、希望が見えていないわけではありません。
 日本では近年労働分野において立法化が進んでいますし、祝日は増え、土曜日を休みにしようと試み、平均労働時間は明らかに短くなっています。これからも育児や私生活とのバランスを考慮して立法化は進んでいくでしょう。

 さらに、他国では週35時間労働や一日6時間労働制という試みも広がっています。日本ほど多くの人が長時間労働をしている国はかなり少数となっています。

 ようやく人類は賢くなってきたのですね。


 しかし、それでも日本はまだまだの状態です。

 労基はもっと採用数増やして、バンバン取り締まりを行って、違反企業は片っ端から公表してください。