語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

高齢者が国政の決定権を持ちすぎた恐ろしい時代

 日本では高齢化が問題視されて久しいが、平成25年の段階で、日本における高齢者(65歳以上)人口の総人口に占める割合は25%ほどになっている。

統計局ホームページ/平成25年/統計トピックスNo.72 統計からみた我が国の高齢者(65歳以上)−「敬老の日」にちなんで−/I 高齢者の人口

 

 さらに10年後にはこの数値は30%を超えると予想されているし、2050年には60歳以上の人の割合が4割を超えると予想されている。

 高齢社会には様々な弊害があるが、特に選挙や国民投票など国政での関係で、おそろしいことになりかねないということを説明しようと思う。

 

 

・若い人の意見・需要が国政に反映されにくくなる

 数、割合が多いということは、それだけ選挙で決定権を持つということである。

 現在でも既にそうなっているが、高齢者の票をいかにとるかによって選挙や国民投票の結果は決まってしまうため、高齢者の意見ばかりが尊重されやすくなる。

  比較的若い30代以下の世代の意見は国政に反映されなくなるおそれが強まるわけだ。

 

 その結果、高齢者の社会保障に関する政策ばかりが支持され、若い世代が求めている賃金の引き上げや育児支援といった政策は後回しにされるおそれが高まる。

 若い世代の金銭的精神的時間的余裕がなくなれば、当然出生率も上がらなくなるし、持続可能な社会の実現が危ぶまれる状況が起きてしまう。子どもを産みしっかり育てるということも難しい社会になれば、当然国家は緩やかに死に向かっていくだろう。

 

 今はまだ子どもをもつ高齢者が多いし、生活にゆとりのある高齢者が多いので、子や孫のことを考えて支持政党や支持政策を決めている高齢者が少なくない。

 しかし、今後はそうでない高齢者は増えていくし、自分たちのためだけのことを考える高齢者も当然増えてくるだろう。

 10年後20年後は今よりもっとお年寄りのための政治、お年寄りのための政策ばかりが展開されるおそれもあるわけである。

 

 

・時代にそぐわない不合理な決定をするおそれが高まる

 年を取ると、思考力や記憶力、理解力が衰えてくるし、体力もガタ落ちする。※1

 様々な物事をしっかり考慮して結論を出すということもしなくなりがちだ。 

 まだ衰えがそこまででない人でも、新しいことを学び理解するのは苦手になりがちである。

 

 それにお年寄りは経験則ばかりに頼りがちである。

 現状を正しく認識することなく、昔の意識のまま行動したり決定をしたりしがちである。ちゃんと物事を新たに考えずに、安易に経験に頼りがちなのである。

 自動車の運転の意識などではそれが顕著に現れるが、運転以外でもそれは同じことである。いつまでも昔の意識を捨てきれない。時代が変わり常識が変わっても、それについていけないことが多いのだ。

 未だにトランプのように、すごかった時代の日本像のままで現状が見えておらず、危機感の甘いお年寄りがあなたの周りにもいっぱいいるのではないだろうか?

 

 お年寄りは昔の考えのまま意思決定をしがちであるが、そんなお年寄りのことなど知ったことかと、世の中の情勢はどんどん変わっていく。お年寄りの意識や認識は昔のまま、世界はどんどん変わっていくのである。

 時代の変化に応じて適切に政策を実施しないと、経済面での悪影響は大きいだろうし、国の情勢はさらに悪化する恐れが高いだろう。それに昔の感覚のままで財源もないのに社会保障を厚くし続けたりしたら、最悪財政破綻してしまうおそれまである。

  そんなわけで、昔の意識のまま、現状にそぐわない意思決定がなされるのはかなり危険ではないだろうか。

 

 思えば、有史史上ずっとお年寄りは「今頃の若者は間違っとる」みたいなことを言っていたが、なんだかんだ言っても長期的に見れば人類は進歩しているし、おそらく間違っていたのは時代遅れになったお年寄りの方だったわけである。

 かつては、若い人の数・割合が圧倒的に多かったし、お年寄りはすぐ亡くなっていたから、お年寄りが時代遅れなことばかり言っていてもさほど問題なかったが、今の時代はそうもいかない。

 「時代遅れで今では間違いだと判明したことをまだ言っている人の意見が、ずっと取り入れられ続ける恐れがある」という人類史上初かもしれない困難に直面しているのである。

 

 

・短期的にしか利益のない政策に走りやすくなる

 20代30代はあと40年50年と生きることになるが、70代や80代はそれほど残りの人生は長くない。

 現代は、イエ意識やムラ意識がなくなってきており、共同体の利益なんかよりもまず自分の利益を追求する意識が強まっているため、「自分が生きている間財政破綻しなければいい」といった考えに陥る高齢者の人が多くなってもおかしくないわけだ。

 

 そんなわけで「10年間はバラマキでいい思いをするがその後は地獄みたい」な長期的に見ると問題の大きい政策が支持されやすくなるおそれがある。「死んでいく高齢者にとってはそれでいいかもしれないが、若い人にとってはとんだ迷惑」なことが起きるおそれが高まるのである。

 

 あのサントリーも「株主は短期的な利益ばかり見て、長期的な利益を追求しないことが多い。上場すれば、短期しか株を保有しない株主の意向に従わざるを得なくなって長い目で見て合理的な政策が実施できなくなるおそれがある。」といってかたくなに上場を拒んでいた時代があったが、 まさにそのサントリーの危惧したことが国政で起きてしまうおそれが高まるわけだ。

 

 

 色々述べてみたが、子どもがいなくても将来世代のことを考えて意思決定をする人は多いだろうし、いくら思考能力等が落ちてきて時代遅れになっても、愚かな判断をするお年寄りばかりではないと個人的には思う。

 日本人はなんだかんだ言っても、集団の利益を追求する傾向がまだ他国に比べれば強い気がするし、今後はしっかり高等教育を受けた学のある高齢者が増えるので、不合理な判断をする人の割合は思ったよりは多くならないのではないかと考えている。まあ、楽観視しすぎかもしれないけどね。

 

 

※1:認知症の割合は、70代前半で3.6%、70代後半で7.1%、80代前半で14.6%程度ではあるが、そのボーダー的な人はもっと多い。それに、日常生活上の判断に問題はなくとも、高度な理解・思考の必要な政治の判断力はガタ落ちしている人はもっと多いだろう。