正直言うと、努力できる才能の差は結構大きいのではないかと思う
「努力できるのも才能」と言うと、すぐ「努力できる才能なんて無い。努力は誰でもできる」、「そんなのはただの言い訳だ」、「方法論や環境の問題であって才能なんてない」などと反論してくる人がいます。
しかし、私のように「努力できるかについて個々人の素質の差がないわけないやろ」、「個人差が結果に与える影響が小さいわけないやろ」と強く思う人も当然いるでしょう。
そこで、今回は「努力できる才能・素質はあるに決まっている」、「しかもその差は結構大きいかもしれない」という話をしたいと思います。
1.努力できる才能とは
努力をどう定義するかは人によって違いますしそのせいで不毛な争いが生まれているのだと思いますが、だいたい「目標を実現するために頑張ること」みたいな意味を指すのが一般的だと思います。
目標を実現するためには、とにかく練習だったり勉強だったりの量をこなさないといけないですし、どれだけ高い質を維持したまま物事に取り組めるかも大事になってきます。
また、好きなことばかりでなく嫌いなことや苦手なことにも取り組まないといけないことも多いでしょうし、飽きずに何度も基礎を確認しないといけないでしょう。
そういうことを考えると、努力するのに重要となる要素として以下のものが挙げられるでしょう。
・いかに量をこなせるか
・いかに質を保って取り組めるか
・嫌なことや苦手なことにくじけないか
・飽きないか、やり続けられるか
これらの要素ですが、どう考えても個々人によって大きく差ができるものだと思います。とりあえず順に述べていきましょう。
2.どれだけ量をこなせるか
どれだけ頑張れるかは、気持ちの強さやビジョンの明確さや習慣、環境、食生活などに大きく左右されますが、体力や持続力に左右されるところが非常に大きいです。
その体力ですが、確かにトレーニング次第で鍛えられるところも大きいとはいえ、人によって遺伝子が違うので当然どこまで鍛えられるかには差ができます。
特に男性と女性、若者とお年寄りでは条件が大きく違う分、違いもかなり大きくなるでしょう。
また人によって睡眠時間も違いが大きいです。
私のように8時間程度は寝ないと心身・集中力がボロボロになる人もいれば、6時間でもピンピンしている人がいます。
1日のうち2時間も自由に使える時間が違うのは大きな差ですし、睡眠時間が短くても問題なければそれだけ努力の量を増やしやすいでしょう。
それに元々もっている理解力や情報処理能力がずば抜けて高ければ、多くの情報を処理しても頭脳の消耗は少ないですし、疲労が少なくなる分努力の量を増やしやすくなります。
同じだけの量をこなしても、HPの消費が100かかる人がいれば、50で済む人も当然いるわけです。後者の方が当然量をこなせるでしょう。
息を吸うように難解な法律の議論を理解する東大出身(在学中に司法試験を合格)の大教授と、普通の法律の教科書ですら未知の古文書を一文字一文字解読するかのように神経を使っている私とでは当然消耗の度合いが大違いです。
他にもいろいろ違いはあるでしょうが、どれだけ量をこなせるか、限界がどこなのかは人によって結構差がでるのです。下でも書いていますが、どれだけタフなのか丈夫な体と心をもって生まれるかが大事なのです。
3.どれだけ質を保てるか
いくら頑張ったところで質が伴っていないと良い結果は望めないわけですが、質をいかに保てるかも人によって違いが出ます。
質を保つには、集中力の高さ及び持続力が大事になってきますが、雑音が多い中一つのことにずっと集中し続けられる人もいれば、ゲームなどの好きなことでも集中力がすぐ途切れてしまう人、少しの物音でも小動物のように反応して集中力が切れる私みたいな人もいます。
いくら気合いがあったとしても、気合いだけでは集中力を保てる時間に限界があるので、元々兼ね備えている集中力の素質や才能の差は無視できません。
4.嫌なことや苦手なことにくじけないか
好きなことや得意なことを頑張れる人は多いですが、やはり嫌なことや苦手なことをするには忍耐力が必要になってきます。
それにいくら頑張っても結果が出なければ、辛くなりますし当然辞めたくもなります。頑張れば一応お金がもらえる仕事と違ってスポーツや勉強では心が折れやすいものでしょう。
いくら気合いや強い気持ちがあったとしても、嫌なことや苦手なことばかりをずっとし続けるのは困難であり、どうしても努力の量は減りがちになるでしょう。
しかし、元々適性や素質があってそもそも嫌なことや苦手なこと自体が少ない人にとってはそういう悩みはあまりないわけです。苦しむことなく頑張り続けやすくなりますし、当然努力の量も増やしやすくなります。
頑張っても結果が出ないというのは苦しく、それでも忍耐力を武器に頑張り続ければやがて死にたくなってきますが 、頑張ればすぐ結果が出る人はそういう思いをしないで努力を続けられるのです。
「結果が出ないけど頑張る」を続けてどんどん追いつめられる人と、「結果が出て嬉しくなってさらに頑張れる」人とでは当然後者の方が長続きするでしょう。最終的には前者の人はつぶれるか断念して、後者の人は努力し続けられるものです。
5.飽きないか、やり続けられるか
スポーツにしろ勉強にしろ物事を反復して練習・復習する必要は高いですが、いくら好きなことでも繰り返し物事を行えば当然飽きてくるものです。ましてやそれほど好きでもないものではそうでしょう。
常人ではどうしても飽きて努力を継続するのが困難になってくるのが普通という場合であっても、ずっと飽き続けない人はいますし、そういう人は努力をし続けやすいといえるでしょう。
東大生には自閉症スペクトラムが多いのではないかという話が以前話題になりましたが、通常人の精神では不可能なほど繰り返し学習をし、訳の分からない問題にもずっと立ち向かわないとなかなか東大には合格できないので当然のことです。
(むしろアスペルガーでもないのに合格した人は凄すぎると思ったほうがいいと個人的には思います。)
それに飽きたり何らかの挑戦をした後でもやり続けるというのは非常に精神力のいることであり、なかなか努力を継続するのは難しいです。
精神力はとんでもなく強いはずのトップアスリートの人ですら大きな大会後は休養することも多いですし、幾多もの神童や怪物同士がしのぎを削っているプロ野球選手でも11月12月はオフですし1月は自主トレ期間です(若手は秋のキャンプやウィンターリーグがありますが。)。
柔道で3大会連続金メダルを取った人ですら、五輪終了後に年単位ではっちゃけているわけですからね。
結果を出して自分を信じ続けることができ、さらに多くの人の声援を貰い十分な対価も得ているトップ選手ですら努力をし続けるのは厳しいのです。
ましてやそうでない一般人が努力をし続けるのは並大抵のことではありません。とても気合いや気持ちや根性だけでは努力をし続けられないでしょう。
6.まとめ
努力の量を増やすにも、質を高め保つにも、苦手なことなどでくじけないかも、飽きないかも、それでもやり続けられるかもかなり素質や才能の差があると言わざるを得ないでしょう。
言い訳にしてはしてはいけませんが、やはりとんでもない人を身近で見てしまうと、その道における素質や才能だけでなく、そもそも努力できる才能にまで差があると思わざるを得ません。なにせ集中力の高さと持続力がおかしすぎる…
・おまけ
努力しても壊れない恵まれた体と脳がないとこうなるという例↓