語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

大学入試で面接を重視することに合理性はあるのか

 民間企業は勿論、公務員試験でも人物評価が重要と言われて久しくなっていますが、近年では大学入試でも面接試験を導入し、面接を重視する傾向が強まっています。

 今や私立大学の入学者の約半分はAO入試、推薦入試により入学しているようですし、東京大学など有名大学まで推薦入試の枠を拡大させている状況です。

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 しかし、面接試験というのは、ペーパーテストと違って評価方法・評価基準がブラックボックス化しやすい、主観がたぶんに入ってくるので平等性・公平性も害するおそれが強い、適切な判断が難しいなど様々な問題があります。

 そこで、果たして、大学入試まで面接重視、面接至上主義でよいのかという話をしたいと思います。

 

 

○面接ではなぜか評価されてしまう人がいる

 面接官もそこら辺のおじさんおばさんなので、人を見る目がどれだけあるかは非常に怪しいです。

 そもそも、人が人の本質を僅か数十分で見極めるのは難しいですし、どうしても第一印象だけで良しあしを判断しがちです。

 

 そのため、どうしても、能力はないのに何故か自信満々で堂々としている人、中身は最悪でもルックスだけ良い人、やる気も実力もないクズなのに第一印象だけはいいから見る目のない者を騙せてしまう人などが得をし、勝利してしまうことがままあります。

 民間企業の人事で、面接だけの印象だけは良かった人をつかまされ「騙された」となった経験を持たない人などほぼいないでしょうし、すぐ面接官は騙されてしまうものなのです。

 

 このまま面接重視傾向が続けば、大学入試でも上辺だけはしっかりしている人や、ルックスがよいだけの人ばかりが評価されてしまうおそれがあるわけです。

 それに受験生側も対応して、上辺を繕う能力ばかりを磨いて、学力を軽視してしまう恐れも十分にあります。受験生に上辺だけのパフォーマンスばかり磨かせて、1億総小保方になって果たしてよいのでしょうか。

 

 

○面接では不当に低い評価をされてしまう人もいる

 能力は高く人格も優れており野心に満ちているような人であっても、どもり癖がある人、ルックスに恵まれない人は問答無用で評価が悪くなります。

 世のおじさんなんて若くて美人な女性にやたら甘い糞野郎人が多いですからね。ブスな女は不合格となり入学できず、美人ばかり合格するなんてことも十分考えられます。

 

 それに、社会不安障害がある人なども面接では苦戦しやすいでしょうし、自閉症スペクトラムアスペルガーADHDなど)の人も大学の研究では実績を残せるだけの素質があり熱意があったとしても、面接では低い評価を受けることが多いでしょう。

 大学は企業とは違ってバリバリ客商売をするわけではないですから、面接が苦手だけど実力もやる気もあるような人を過小評価すべきではないはずなのに、過小評価されてしまうのです。

 

 それに簡単には説明できないビジョンや計画、野心もあるでしょうし、面接で簡単に説明できる計画は評価され、面接という短い時間で何の資料も使えずに口答で説明するのは難しい計画は評価されないということにもなりかねません。

 スケールが大きく素晴らしい計画を持っていたり、大学であれもやりたいこれもやりたいと思っていたりするなどでも、短い面接時間では的確に説明できず評価されないということになるおそれがあるわけです。そういう熱意のある人ほど本来は大学に入れるべきであるにもかかわらず。

 

 

○平等性を害するおそれ

 また、お偉いさんの息子娘をこっそり優遇したり、裁判所事務官のように(↓記事参照)しれっと女性ばかりを優遇するといったことも可能になってしまいます。

yamifuka.hatenablog.com


 また、誤ったことを言わないために丁寧で正確な説明をする場合でも、面接官によっては「丁寧で好印象だ」となることがあれば、「よくわからんからかいつまんで言えよ」と思われて低い評価を受けることもあるので、ただでさえ受験には強い運要素がさらに高まってしまいます。

 

 

 だいたい、民間企業の就活でも、当事者の間では茶番と言われて問題視されていますし、実際茶番と言われても仕方ないところも少なくありません。
 評価すべきなのに評価できない項目がいっぱいある、第一印象を元に評価をすると不当に高く評価したり低く評価したりすることがままある、一般人が短時間で膨大な項目を総合考慮し的確な判断をするのは難しい、ある項目について考慮不尽があったりどうでも項目について考慮する他事考慮があったりする、面接官によって好き嫌いがあるし重視する項目も違う。

 という風に面接試験の問題点を挙げていくとキリがありません。

 

 トランプのようにはったりがうまい人、内容はめちゃくちゃなのに相手を威圧して論破しているように見せかける人、正確さに欠けてもわかりやすく断言をするために知能の高くない人をだませる人なんかが評価されがちですし、そういう人ばかりが合格するとなったら、論理性を重んじる学問の世界が崩壊するのではないかと私は思ってしまいます。

 

 個人的には、面接試験を導入すること自体は反対しませんが(むしろ賛成)、あくまで学力があったうえでの人物評価であるべきであり、現在の日本で横行しているほぼ面接一本ではあるべきではありません。基礎学力もないのに、大学でまともに勉強なんてできないでしょうからね。

 学力を問うた上で(科目を選択制にするなどして多様性を図るような努力は必要)、大学でどういうことをしたいのか、将来どういうことをする計画があるのかを詳しく問い、「民主主義と何か」みたいな抽象度の高い質問や倫理を問うような質問にも頑張って自分なりの答えを説得的に述べられるかを聞くような試験にすべきだと思っています。

 

 でも、それができるのはごく一部な気しかしないなあ。

 イギリスでいうと、オクスフォードやケンブリッジぐらいのレベルじゃないと無理かも。