じっくり考えても迷うときはどっちを選んでもよい説
人が社会生活を営む上で複数選択肢のうちどれかを選択しなければならない局面に直面することは多々あります。
そういったときに、どちらを選ぶかじっくり考えてもなかなか答えが出ないこともありますが、それでもどちらかを選ばなければならないという事態も少なくありません。
頭を悩ませる問題ではありますが、そういった場合では割とどちらを選んでも別に構わないことも多いのではないか、どっちかをきっぱり選んでそのあとも後悔しないようにするのがよいのではないかという話をしたいと思います。
なお、きっぱり決断したせいで悪い結果になっても私は責任を取りませんし、重大な決断に関しては参考にしないでください。
1.じっくり考えても迷うということは、どちらも悪くない
どちらかの案に大きながあったり、どちらかの案がすごく優れていたりすれば、じっくり物事を考え、他人に助言を求め、色々調べればどちらを選ぶべきかの結論がでるはずです。
ですが、そういったことをしてもなおもどちらかの案がよいという結論が出ないということは、どちらの案もそれ相応の根拠があり、どちらも説得力があるという可能性が高いです。
そのため、どちらを選んでも間違いではない可能性が高いと思われます。
例えば、手を汚したくないからきのこの山を選ぶのも一理ありますし、触感を楽しみたいからたけのこの里を選ぶのもありです。
どちらを選んでもおいしいお菓子を食べられるわけで、どちらを選んでも別に間違いではないのです。私はたけのこのほうをお勧めしますが。
2.悩む時間がもったいないことも少なくない
先ほど述べたようにじっくり悩んでも答えが出ないということは、どちらもありな場合が多く、どちらを選んでも特に問題がないことも多いのです。
それなのに、なおも悩み続け答えの出ない問題に時間を費やしすぎても仕方がありません(悩む時間が楽しいという場合は別ですが。)。
司法試験の問題なんかでもそうですが、結論は別にどっちでもいいという問題は世の中に多く存在します。
きっぱりどちらかを選んで選んだ道を直走り、悩む時間を他のことに費やす方が良い場合もあるのです。結論どっちもあり問題なのに、きっぱりどちらを取るか決断ができなかったせいで時間不足に悩まされたトラウマがよみがえる…
どちらかを選ぶか悩むよりも、どちらかを選んだうえでその道で上手くいくよう頭を使う方が有益な場合もあると考えましょう。
3.ありな選択肢を選んだ以上、結果が上手くいかなくても判断は間違っていない
下の記事でも書いていますが、そのときにおいて合理的な選択をした以上、結果が出なかったとしても判断には問題ないわけですから、自分に過失はありません。結果論として処理すべきです。
それに、もう一つの選択肢を選んだところで同じく失敗していたり、今以上に酷い事態になっていたりする可能性も十分にあるわけで、一度決断した以上は後悔しても仕方がないですし、過去を振り返らない方が精神衛生上良いと思います。
きっぱり選んでしまって、あとは知らんと開き直ったほうが人生が楽になるのではないでしょうか。ひたすら悩みぬいたり、後悔しまくってたりしてもマイナスな影響ばかりが大きい気がします。
私は幼少期貧乏で買えるものが極めて限られていたこともあり、買い物のときは常に最善の選択肢を選ぶのに全力を尽くす習性が身についていて、傍から見ればとんでもなく優柔不断な人間でしたが、だいたいじっくり考えても迷ったときのことを後になって考えると別にどっちでもいいことは非常に多かったように思います。
人生における重大な決断を考えてみても、資格や公務員試験のことを考えれば法学部でよかったと思いますし、仮に経済学部ならそれはそれで自分に合っててよかったんじゃないかと思います。どっちを選んでも正解だったと思います。
逆に、大卒時に仮に民間企業への就職を志していてもどうせうまくいっていない気しかしないので、院進学も就活もどっちを選んでも地獄だったでしょうし、どっちを選んだところでダメだった気しかしません。
あれ?これだと迷ったらどっちを選んでも良い説じゃなくて、どっち選んでもアカン説な気がしますね。
重大な決断についても、割とどっちもありだったということはあるわけでして、ましてや日常のどうでもいい決断なんかは、そこそこ考えても甲乙つけがたいときは、さらに深く悩むことをせうにもう適当にどっちかを選んでおけば良いのでないかと思います。