語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

人の心を動かすのに、さほど情報量はいらないのかもしれない

 私はよく人のブログを読むが、「せっかくいいこと書いているのに記事数が少ないなあ」「もっとこの人の記事読みたいなあ」と思うことが非常に多い。

 それは有名ブロガーでもだいたい同じことであり、「思ったより記事数少ないな。もっと多くの記事が読みたいのに」という印象を受けることも少なくない。

 

 よく考えれば、はてなでよくブックマークがついた記事のあるブログを見てみても、割と最近作られたブログが多かったり、ガチで社会について書いた記事なんかはそんなに多くなかったりする。

 中でも、凄く反響が多かった記事となると数は限られてくる。

 

 例えば、ちょっと前に問題を起こした北条かやさんの移転前のはてなブログなんて(何故、よりによって具体例としてその人を出すんだよ)、3年間で40ほどの記事しかない。特に注目を集めた記事となるともっと少なくなるだろう。

 それでも彼女は書籍がそれなりに売れたし、それなりには知名度もある。

 

 有名ブロガーは多くの人の心を動かし、人の人生設計に大きな影響を与えることもあるが、彼らは別に百、二百と優れた記事を書いたわけではない(書いている人もいないわけではないけども)。

 本当に大うけした記事は十、数十あればすごい方である。文章量でいうと、気合いさえあれば数時間ですべて読めてしまう程度ではないだろうか。




 よく考えたら、ブロガーに限らず、有名な作家、小説家でも作品数はさほど多くない。有名な人でも、作品数が百とか行くような人はそんなにいないだろう。

 

 あの芥川龍之介ともなるとさすがに80作ぐらいは世に出しているようだが、歴史に名前を残す人だって、そこまでの数の作品を量産している人ばかりではない。

 それに本当に有名な作品となると、10作もなかったりすることもままある。
 どこぞの芸能人芥川賞作家なんて1作しかこの世に出してないのに、作家としての名声も地位も得ていますし、大した作品数がない有名な人もそこそこいるわけですよ。

 

 

 そうはいっても、作家や小説家はなんだかんだでまだ文字数が多いだろう。

 しかし、小説など以外を見てみると、もっと文章量・情報量の少ないものもある。

 

 例えば、歌謡曲では文字数は非常に少ないだろう。

 しかし、それでも何十年にもわたって、多くの人がその短文に心を揺り動かされ、あるフレーズを口ずさんだりする。

 たった何十字に多くの人の魂が呼び覚まさせれるのである。

 それどころか、「粉雪」というたったの4文字(漢字だと2文字)だけで、多くの若者の心をつかんでいる凄いアーチストも世の中にはいますからね。

 


 また、小説より圧倒的に文字数が少なく情報量の少ない俳句や短歌なんて、何十年どころか何百年から一千年もの時を超え語り継がれている。

 僅か20~30字ぐらいの名言がいまだに話題になるわけだ。歌謡曲と違ってこちらはメロディという情報すらないというのに。

 

 

 さらに言うと、絵画なんてもはや文字情報すらない。一枚の絵に関する視覚情報だけである。映画と違ってストーリーを長々と語っているわけでもない。

 しかし、それでも、雄弁に何かを語るよりも、一枚の絵画を見る方が人の心は大きく揺れ動くことがままある。

 統計に基づいて戦争の過酷さを伝えてもらうよりも、ピカソゲルニカを見るほうが強く心に残ったりする。

 

 

 こんな風に考えていくと、人の心を動かすのにはそこまで多くの情報量はいらないのではないかと思われる。


 そもそも人間の情報処理能力からして、そこまで莫大な情報は処理できない。何百ページ、何千ページも難しい文章に目を通し、しっかり理解することはなかなかできない。

 多くの論理よりも、簡潔でわかりやすくインパクトのある文章や、情念・感情に訴えかける芸術の方が人の心を動かせるのかもしれない。

 勿論、論理も大事ではあるのだが、実際には人は情念や感情で動くことの方が多いかもしれない。


 

 私が何十時間と練りに練って考えた専門的な内容の文章よりも、アイスを食べながら5秒くらいで適当に考えた大衆向けの1行の文章の方が、多くの人の心を動かし長きにわたって名言として語り継がれてしまうおそれもあるわけだ。

 うわあ。発言には気を付けようっと。