元日本代表の恩師が語った「手をつないでゴールはアカン」という話
私自身はインターハイに出られなかった悲しい人間であり、スポーツの分野で大した実績を挙げられなかったのですが、なんと恩師は元日本代表になったこともある凄い方です(特定余裕なので競技名は伏せますが。)。
その大先生が私に何故か熱く語っていたことがありますので、そのことを書きたいと思います。
今の教育現場には、負けた人が可哀相ということで競争を避けようとするところがあるらしい。
最近では、手を繋いで仲良くゴールする小学校もあるとか言うよな。でも、あれはアカン。
というのも、競争をすることで「自分は勉強が得意」、「スポーツが得意」というのがわかってくるからなんや。
競争をして負ける経験をしないと、自分の得意なもの・苦手なものが何かわからないまま大人になってしまう。大人になってから、自分に向いていない道を選んでしまったと気づいたのでは遅いんや。
俺は○○(競技名)を頑張ったけど、競争をしたことで勉強は頑張っても上手くいかないとわかったから・野球では背が低くて○○高(甲子園常連校)では活躍できないとわかったから、自分にあった選択をできたんや。
勉強が苦手なやつはスポーツなんかで頑張ればいいし、スポーツが苦手なやつは勉強を頑張ればいい。
競争をすることで、自分は何が得意かをわかっておくことが大事なんや。
だいたい、俺の時代なんかきょうだいも多いから、お菓子も取り合いで競争よ。
子どものときから競争にもまれてたから、打たれ強くなったんや。
実際には、手を繋いでゴールしたという話は、この広いネットの世界でも聞かれないですし、2か月ほど前にテレビ番組があったようですが(↓参照)、やはりそんな学校は発見できなかったようです。
おそらくこの話は、教育方針を皮肉った都市伝説であるというのが真相でしょう。
まあ、手つなぎゴールが真相かどうかは本筋じゃないのでおいとくとして、確かに「順位・成績をつけて子どもを区別することは可哀相」「子供のころから挫折を経験させるのは可哀相」みたいなことを言う人は少なからずいます。
しかし、悔しい思いをするからこそ人はなにくそと思って頑張るものですし、私の恩師が語ったように自分の得手不得手を早期に理解しておくことで自分にあった選択をできるというメリットもあります。
一時的には可哀相と思うかもしれませんが、早いうちに現実を見せて挫折を味わせない方が、自分に適していない道を歩むことになり可哀相な思いをさせることになるのではないでしょうか。
あのイチロー選手も「投手では大成しない」というつらい現実を受け止め、1年目2年目二軍で切磋琢磨して打者として花開いたわけです。他にも、投手や捕手としての競争を経験した上で自分の限界を知り、他のポジションに移って活躍した選手は数多くいますし、早いうちに現実を知り己を知ることこそが大事ではないでしょうか。
周囲の大人としては、本人に現実を突きつけどういう分野が向いていないかを教えてあげるべきであり、そうすることこそが真の優しさではないでしょうか。
しかし、こんなありがたいお話に対して、「さすがにお菓子のところまで競争しなくていいんじゃないですかw」と、水差し野郎としか思えない発言をした輩がこの世の中にはいるらしい。全くけしからん話ですね。