語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

「○○は暗記じゃない」的な話は強く疑った方がいい

 世の中には「司法試験は暗記じゃない」、「数学は暗記じゃない」的な話がたまに聞かれますし、「暗記は大事でない。理解こそが大事なんだ!」と言うことを語る人は珍しくありません。

 しかし、この手の「○○は暗記じゃない」という話は信ぴょう性が怪しい場合も多く、真に受けたり鵜呑みにしたリしない方がよいと強く思うので、その話をしたいと思います。

 

 

1.人は真実より大衆に受けることを言いたがる

 多くの人にとって、物事をひたすら覚えるというのは苦痛であり、できるだけやりたくないと考えるのが普通です。

 暗記などせずに物事に対処できる方法論があるなら、それに飛びつきたくなるものですし、暗記以外の楽な道を求めている人はすごく多いでしょう。

 

 そういう暗記を嫌がる人が大半なので、「理解も勿論大事なんだけどしっかり物事を正確に覚えるこそが大事だ」、「やはり物事を細部まで正確に覚えて書けるようになることはとんでもなく大事であり、覚えること・暗記に力を入れる必要がある」などといった私がよく言う正論は受けが凄く悪いのです。

 

 それに対して、「実は暗記はそんなに大事じゃないんだ!」的な話をすれば、「なんだって!!」、「そういうのを待っていた!」と多くの人が食らいつきます。

 人は楽をしたがるものなので、「○○は暗記じゃない」という話は大衆に受けるのです。著書も売れますし、信者も増やしやすいのです。

 実際にはとんでもなく暗記要素が大事であったとしても、大衆にとって甘い話である「○○は暗記じゃない」論が注目を浴びやすいのです。

 

 

2.人は高度そうなことに惹かれやすい

 また暗記と言うのは単純作業ですし、単調で誰でもできると思われがちです。

 そんなレベルの低そうな物事よりも、もっとレベルの高そうなことばかりやりたいと思うのが通常人の考えでしょう。

 

 例えば、英語でいえば、ひたすら文法を学び単語を覚えるような単純で単調な作業はつまらなくレベルが低いように感じる人が多いと思います。

 そんなことより、外国の映画やドラマなどを見て学習するようなレベルの高いこと・頭の良い人がやりそうなかっこいいことをやりたがる人が多いでしょう。

 

 実際には、基礎もできていない人だと、まずはひたすら文法の勉強をし、単語を頭に入れていかなければ、高度なことをやってもあまり意味がなかったりするわけですが、人にはプライドもありますし単調でレベルの低そうなことはやりたがらないのです。

 「まず基本的なことをしっかり覚えるのが大事だ」、「とりあえず大学受験レベルの英単語と文法をもっと勉強・復習しようよ」というのが正論でまともなアドバイスだったとしても、それは多くの人にとって聞き入れがたいのです。

 

 そういうわけで、「○○は暗記じゃない」的な話がもてはやされがちになるのです。実際には暗記も凄く大事だったとしても。

 

 

3.記憶力がかなり優れていて暗記で困らない人が言っている可能性がある

 また、「○○は暗記じゃない」的な話をしている人を見ると、東大や京大の出身者であることがままあります。

 東大や京大を主とした有名大学に平然と受かるような人がこの手の話をしていることが凄く多いのです。

 

 その東大や京大など有名大学に受かるような人ですが、彼らはだいたい記憶力が平均より優れているものです。細かいところまで正確に長期間覚えられる能力、特に意識しなくても物事をしっかり覚えられる能力が高い人が多いのです。

  私の周りで京大出身の塾の講師が「だいたい灘や東大寺(全国屈指の超進学校)に受かるような人は、とても問題に出ないようなどうでもいい年号まで何故か覚えているものなんだよな」という話をしていましたが、東大や京大に平然と受かる人の長期の記憶力の素質を偏差値化すると、70から80ぐらいある人もかなり多いのではないかと思います。

 記憶力というのは傍から見てわかりにくいため理解をしていない人が少なくありませんが、「○○は暗記じゃない」とか言う人はだいたいかなりの素質をもった可能性が高いのです。

 

 それに対して東大や京大など遠い世界の話という人は、記憶力がガバガバなことが多く、物事をすぐ忘れてしまったり、すぐ知識や理解があやふやになってしまったりする人が多いです。

 東大や京大生にとっては、ほとんど復習をしなくても「あっこれ模試でやったやつと似たようなものやん。解ける解ける」となるところでも、普通の人だと何度も復習しても「これ見たことはあるんだけど、どうやって解くんだっけ?また忘れてしもた」となることがままあります。というかおそらく98%ぐらいの人はそちら側でしょう。

 平然と東大や京大に受かる人にとっては、暗記要素が全く壁にならず、いかに理解部分を対処するかといった暗記以外の要素での勝負になるため、その人にとっては「○○は暗記じゃない」と言うのは正しいのでしょう。

 しかし、一般人にとっては、まず暗記要素をしっかりしないとそもそも太刀打ちできず、下手するとそれ以外の要素での勝負に入ることすらできないということもあるでしょう。

 

 一般人にとっては、記憶力に恵まれた人の常識である「○○は暗記じゃない」、「暗記より理解が大事」といった話は通用せず、「○○は暗記も大事」、「理解も大事だが暗記も当然大事」という話こそが真実であり、「覚えることに力を注がないと話にならない」という不都合な真実がある可能性も十分にあるのです。

 なので、「○○は暗記じゃない」を一体どういう人が言っているのか、どういう理由で言っているのか、記憶力が優れているからこそそれが言えるだけじゃないのかということを考えて、しっかり発言を吟味しなければなりません。

 

 

4.終わりに

 確かに高度なことをやろうと思えば、理解がすごく大事になってきますし、暗記以外の要素がすごく大事になってくるのは間違いないです。本当に理解も何も伴っていない丸暗記ではダメでしょう。

 しかし、だからといって暗記が大事でないかと言われるとかなり怪しいと思ったほうが良いと思います。

 

 それほどガチガチに復習をしなくても、平然とパターンを覚えられてしまい自由自在に記憶を引き出せるような人が東大や京大生には多いですし、そういう覚えることに苦労しない人が言っているのではないか、自分には通用しないことを言っているのではないかと警戒すべきだと思います。

 

 少なくとも私にとっては、「○○は暗記じゃない」と言う話はたいてい大嘘で、「○○は暗記要素もとんでもなく大事。しっかり覚えることに力を注がないといけない」ということがほとんどでした。

 私も別に特別記憶力がガバガバなわけでもないですし(そうじゃなきゃ神戸大学とかに受かるわけがない)、おそらく私のような人こそがマジョリティーではないかと思います。例外は限られた数しかいないでしょう。

 

 試験で重要となる「何も見ずに覚えていることを吐き出す力」を培うには、覚える作業にも力を入れないと普通は厳しいので、一般人にとっては暗記は大事なことがほとんどと考えたほうが安全です。

 なにせ試験ではただ問題を解くだけじゃなくて、迅速かつ正確に問題を解く必要があるわけですし、迅速さや正確さを上げるにはやはり覚えなければいけないことが多いでしょうからね。とにかく復習しまくって暗記も大事にしないとまずいのです。

 

 

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