語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

女子マネジャーの練習補助を禁止する大会規定が許されるべきか

 リオ五輪も近づいていますが、野球ファンとしてはいよいよ夏の甲子園で盛り上がってくる時期になってきました。

 各代表校による甲子園の練習が始まりだしたのですが、先日ちょっとした騒動があったようです。

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 今の日本では女性差別と思われる事態が起きるととにかく大問題となりますが、高野連は元々嫌われていることもあり、ネットでは大きな話題となっています。

 当然ほとんどの人は高野連を批判していますが、私も時勢に乗って女子マネジャーの練習補助を禁止する大会規定が許されるべきか検討してみます。

 

 

○そもそも禁止の理由は何なのか

・名目上の理由

 高野連側の説明では危険防止というのが禁止の理由のようです。

 確かに男女では身体能力に違いがありすぎますし、平均的な男子なら避けられる悪送球などのアクシデントでも女子では回避しきれないことはあるかもしれません。

 そのため、危険防止というのは一応の合理性はある理由と言えるでしょう。

 

・表だって言われない理由?

 表だって言われないだけで本当は「男の世界に女が入ってくるんじゃねえ」、「神聖なグラウンドに女が来るな」という意味合いがあるのではないかとも考えられますが、相撲界と違って野球は神技と関係がないですし、練習以外では普通に女性もグラウンド内に入っているので、女人禁制的な意味合いはそんなにないのではないかと思います。全くないとまでは言えませんが。

 

 あと、「男は危ない目に遭ってもいいけど女はそうじゃない」という思想もあるのかもしれませんが、練習補助はそこまで危険の高い業務でもないですし、別に男子生徒の体は大事にしないというような意味でもないと思います。

 なので、名目通り、危険防止が女子マネジャーの練習補助を禁止する理由と捉えて良いのでないかと思います。

 

 

○危険防止はどこまで合理的な理由なのか

 法律もそうですが、ルールというのは目的が正当であればそれでよいというものではありません。

 目的自体はまともであってもその手段に問題があれば、よくないルールといえるでしょう。当然、変えていくべき必要性が高いのです。

 

 危険防止というのも目的自体はまともなのですが、だからといって女子は全面排除という手段を取る合理的理由になるかは別の話です。

 どれだけ危険なのか、一切練習補助を禁止するほどの危険性があるのか、男子と女子でどれだけ危険度に違いがあるのかといった点を考慮した上で、「女子はやっぱりかなり危ないから練習補助をやらせたらまずいよね」と言えて、はじめてこのルールはまともで許されるべきといえるのです。

 

 それで練習補助がどれだけ危ないかという話ですが、別に試合に出るわけではないですし、ノックの補助をするぐらいなので、ほとんど危なくないでしょう。

 下のような記事も上がっていますが、別に試合に出るわけではないので、鍛え抜かれた球児たちが金属バットで振りぬいた打球を処理するわけではありません。せいぜい悪送球が稀に来る程度でしょう。

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 それにその悪送球のリスクも甲子園に出るようなチームですので、補助員の身の危険を生じさせるほどの酷い送球が来る可能性はかなり低いと思います。(男子なら避けられるが)女子であれば避けられずに大けがをしてしまう事態の起きる確率はとんでもなく低いでしょう。

 私も長年野球を見ていますが、練習補助員が骨折などの怪我をしたというのは身に覚えがないです。打撲ぐらいなら実はあるのかもしれませんが、危険視するほどの発生率ではないでしょう。

 実際私自身も練習の補助をやったことがありますが、身の危険を感じたことは全くなかったですしね(運動神経のない人には参考にならない感想)。

 

 あと、甲子園以外の場所では普通に女子だろうが練習補助を認めているでしょうし、本当にグラウンドが危ないというのなら、練習補助よりも痛烈な打球が飛んでくるおそれの高いボールガールも認められるわけがないでしょう。

 高校生よりも遥かにえぐい打球が飛び交うプロですらボールガールがいますし、念のため練習補助員はヘルメットを付けるぐらいにしておけば十分安全性は保てるのではないでしょうか。

 

 

○保護や安全というだましやすい理由

 私たちはどうしても、安全や保護が目的と言われるとつい「それなら仕方ないか」となってしまいがちです。

 しかし、今では撤廃されたり制限が緩くなった女子の炭鉱労働や夜間労働の禁止なども、女子の保護という目的で設けられた制限です。歴史を見ると、保護という名のもとに女子の権利が制限されてきたことはすごく多いのです。

 

 現在、イスラム教国家は欧米を中心に女性差別と批判されがちですが、私たちの目からすると女性差別以外の何物でもない習慣や規則も女性保護のため・女性の安全のためと説明されていたりするものです。

 例えば、イスラム教国家では、女性に親族男性以外に触れられてはならない、男性の多くいるところへ行ってはならないという制限が課せられていたりします。日本では移動の自由の重大な侵害以外の何物でもありませんが、それすら保護や安全を理由に正当化されているのです。

 

 イスラム教の人たちは別にそれでよいのかもしれませんが、安全や保護という理由を聞かされて思考停止すると日本人にとっては好ましくない結果を招くおそれがあるでしょう。

 安全や保護といった理由を聞いても、本当にそれが合理的な理由になるのかというのはしっかり吟味しなければいけません。